自分らしさを生きるファッション ––– 波動を整え、運をひらく

昨日、服屋さんの前を通りかかった時のことです。ディスプレイされていた服を見ていた70代くらいの女性たちが、「これは若い人向けね。おばあさん向けじゃないのよ。綺麗な色なんだけどねぇ。」と話していました。
パッと見ると、年齢層が特定できないようなデザインの服でしたので、「着たければ着れば良いのに」と思いながら、その場を通り過ぎました。とはいえ、服装には昔から、年齢や立場によって一定のルールや慣習が存在してきたのも事実です。
例えば着物には、未婚者と既婚者で種類や装いのルールがありますし、江戸時代には年齢によって髪結いの様式も異なっていました。このような決まりごとは、今に始まったことではなく、何百年も前から存在しているものです。それでも今の日本は、他国と比べても、とても自由にファッションを楽しめる国だと思います。
地域やコミュニティにもよりますが、これがアメリカになると、そう簡単にはいきません。文化的なアイデンティティが色濃く存在しているため、ファッションとして踏み込んではいけない領域があります。それは服装だけではなく、持ち物やヘアスタイル、聴いている音楽などにも及ぶことがあり、「カッコいいから」という理由だけでは済まされない場合があります。
私が初めてNYに行ったのは10代の頃でした。
NYに着くなり、私が「キャップを買いたい」と言うと、その時に一緒に旅行した友人が、当時はすごくアメリカかぶれで(今ではNYに住んで35年になりますが)、映画を観てすごく良かったからという理由で、マルコムXのキャップを猛烈に勧めてきたのです。
ブラックの鍔にホワイトのトップ、そこに黒い「X」だけが入った、とてもシンプルなデザインでした。当時はヒップホップが好きでしたし、日本では音楽も含め、黒人文化に関するものはなかなか手に入らなかったこともあり、そのキャップを買うことにしました。
翌日から、そのマルコムXのキャップを被ってマンハッタンやブルックリンを歩き回りました。すると、行く先々で黒人の男性たちから、そのキャップについて何度も話しかけられたのです。「その帽子はなんで被ってるの?」「キミも支持してるのかい?」「マルコムX、いいチョイスだよ!」そんなふうに声を掛けられることが何度も続きました。
友人が横須賀仕立ての英語(今では彼女はプロの通訳です)で、私の代わりにあれこれ答えてくれていましたが、当時の私は、なんでこんなにこのキャップのことを聞かれるのか、不思議で仕方がありませんでした。
のちに映画を観て、さらにしばらく経ってから知ったのですが、マルコムXの「X」という文字には、奴隷制度によって失われた本来の姓を「未知の姓(X)」として表したという歴史的背景と、黒人解放運動における象徴的な意味が込められていました。
そのことを知った時、なんという無知さを晒してしまったのだろうと反省しました。10代なんてそんなものかもしれません。でも、この出来事をきっかけに、「知らないまま身につけること」の怖さを知り、それ以来、出来る限り物事を知ろうと心がけるようになりました。
この経験を通して私が思うようになったのは、「背景や歴史を知った上で向き合うべきもの」と、「誰かが決めた価値観に縛られなくてもよいもの」は、分けて考えた方がいいということです。
マルコムXのように、その人たちにしか理解できない深い意味や感情が込められているシンボルやデザイン(例えば、特別な意味が込められた民族的な模様など)や、あまりにも倫理的に逸脱するようなデザイン(裸に近いものや、公共機関の制服を職員でもない人が私服として着るようなものなど)を除けば、年齢にかかわらず、自分が好きな服装をしたら良いと私は思っています。その理由は、オーラや波動の状態と深く関係しているからです。
昔はテレビや雑誌、今はSNSやインフルエンサー。誰かが提案するファッションは、参考になることもありますし、自分では思いつかなかった新しい発見につながることもあります。
でも、それを自分の感覚より優先し過ぎると、人によっては、本来の自分との間に少しずつズレが生じ始めます。そのズレは、エネルギーの流れにも影響し、結果として運気にも影響すると私は考えています。
以前、本屋で、ファッションとは全く別のコーチングの分野で作家になった人の本を見かけたことがありました。帯には、「持ち物やヘアスタイルに至るまでファッションを指南!」というようなことが書かれていました。それを見て私は、「ファッションなんて、人それぞれ独自のものなのに、指南なんかしてどうする」と思いながら、その場を通り過ぎました。なぜなら、その人の持ち物やヘアスタイル、服装は、その人のオーラのエネルギーと関係しているからです。
オーラは誰もが独自の質を持っています。似通ったオーラを持つ人はいますが、全く同じオーラを持つ人はいません。指紋が一人ひとり違うのと同じことです。
学生の頃、まだ「オーラ」という言葉は使っていませんでしたが、「私たちは、ただの着せ替え人形である」というテーマで、そのことを訴えたインスタレーション作品を制作したことがありました。今思えば、あの頃から私は、「人は誰かの価値観に合わせるためではなく、自分自身を表現するために装うものなのではないか」と感じていたのかもしれません。
時代を遡るほど、世間一般のファッションには、今ほど多様性はありませんでした。だから、生まれた年代によっては、「周りと違う服装をするのは良くない」「世間で良しとされている服装に自分を合わせるものだ」という感覚でいる人も少なくないと思います。
昔は雑誌でファッションの流行をチェックする人も多く、女性ファッション誌の表紙には、「愛されコーデ」や「モテるための……」といった見出しが並んでいました。その言葉からも分かるように、本来の自分のためというより、誰かに愛されるため、誰かに好かれるためのファッションが提案されていた時代だったように思います。
もちろん、魂のテーマとして異性にモテることが重要な人もいるでしょうから、それが全て悪いとは思いません。でも全体を見れば、「愛されるため」「モテるため」のファッションが、かえって自分らしさを見失わせてしまう人の方が多いのではないかと私は思います。
今はそのようなキャッチフレーズもあまり見かけなくなり、ファッションも多様化が進みました。年齢にかかわらず、自分の好きな服装を楽しんでいる人も増えたように感じています。
そういえば先日、夫の実家の近所に住む70代の女性を久しぶりに見かけました。
すると、髪色がショッキングピンクになっていたのです。
夫が「あの人のどこに、髪をショッキングピンクにしてしまうようなものがあったんだろうか?」と言っていましたが、私は、その女性の中に、これまで表現されずに残っていたエネルギーがあったのだろうと思いました。なんていうのでしょう。ちょっと未成仏霊と似ているようなものがあります(笑)。
もちろん本当の意味で未成仏霊ということではなく、もっと近い言葉で表すなら、「未消化のエネルギー」という感じでしょうか。もともとその人の中に存在していたものが、何らかの理由で十分に表現されないまま残っているような状態です。それは後天的なものかもしれませんし、生まれ持った性質であることも多いと思います。未消化のエネルギーというものは、自分の内側から静かに、ふつふつと湧き上がってくるものなのではないかと私は思っています。
そして、そのエネルギーは、その人に合った形で外へ表現した方が良いのです。その表現が、髪型だったり、持ち物だったり、服装だったりすることもあります。もし表現されないままでいると、そのエネルギーは内側に留まり続け、自分にとって調和しにくいエネルギーを引き寄せたり、摩擦を生んだりすることがあります。そうした摩擦はエネルギーを大きく消耗させます。その状態が続けば、本来の自分らしさも少しずつ発揮しにくくなってしまうと私は考えています。
例えば先ほど書いた、夫の実家の近所の女性。
ショッキングピンクの髪は、その方のオーラからすると、多少の違和感があります。痩せ型で、上品で、おっとりした雰囲気。話し方も穏やかな方ですから、「なぜショッキングピンクなのだろう?」と思う人も多いと思います。実際、私にもそんな印象があります。でも、表面に見えているものだけで結論を出さない方が良いと思っています。きっと、髪をピンクにしたいエネルギーが、その方の中にずっと存在していたのでしょう。
これはあくまでも憶測ですが、若い頃にやってみたかったことや、表現したかった想いなどが、無意識のうちにショッキングピンクという形で現れたのかもしれません。だから私は、たとえ服装や髪型が、その人本来のエネルギーと一致していないように見えたとしても、無理に変える必要はないと思っています。
一般的なスピリチュアルでは、「一致していないなら変えた方がいい」と考えられることも多いようですが、私はそうではない場合もあると思っています。本人にとっては、その表現自体が必要な過程だからです。ただ、本当なら、その時に心の方も見つめてみると良いでしょう。本当はやりたいことを必要以上に我慢していないか。自分の気持ちを抑え込んでいないか。誰かの期待に応えようとするあまり、自分を見失っていないか。思ったことを、ちゃんと表現できているか。そうしたことを見つめていくと、その髪型や服装を選んだ理由が、自分でも少しずつ見えてくることがあります。
人のファッションには、その人のエネルギーが表れやすいと私は思っています。もちろん、趣味としてファッションを楽しんでいる場合もあります。でも、そのような場合でも、よく見ていると、その人らしさは、さまざまなところに表れているものです。 人だけではなく、服や小物のデザインにも、それぞれ固有のエネルギーがあります。例えば、バレエコアのように、一つの世界観をもとに生まれたデザインには、その世界観を育んできた人々のエネルギーフィールドと繋がる要素があります。だから、全身をバレエコアでまとめれば、そのエネルギーフィールドの影響をより強く受けることになります。
一方で、おじいちゃんが着ていそうなファッション(最近では「グランパコア」と呼ばれるらしい)の要素を取り入れて組み合わせれば、そこにはまた別の、自分だけのエネルギーフィールドが生まれ始めます。
ここで、「それは先ほど書いた、エネルギーが混乱している状態とは違うの?」と思う人もいるかもしれません。でも、私が言っている「不一致」というのは、視覚的なコーディネートの話ではありません。たとえ見た目にはセンス良くまとまっていたとしても、その人から受けるエネルギーに違和感があれば、それは私にとっては不一致です。
逆に、一見すると意外な組み合わせだったとしても、その人の内側と自然に調和していれば、不一致とは感じません。つまり、不一致とは、服装の組み合わせではなく、その人の内側と外側が調和しているかどうかということなのです。
母から聞いた話なのですが、私は幼稚園の頃から服に対するこだわりが強かったようです。
母が用意した服ではなく、「これは嫌、あれがいい」と、自分が着たい服を主張することがよくあったそうです。当時の記憶はありませんが、小さい頃から、自分なりの「これがいい」という感覚ははっきりしていたようです。
小学5年生の時に、友達と原宿へ服を買いに行ったことがきっかけで、ファッションに興味を持つようになりました。それ以来、誕生日のプレゼントは服です。
中学2年生の時に、女子美大の付属高校に入るための準備で、女子美の理事長先生のお宅へ水彩画を習いに通い始めました。場所が青山だったこともあり、帰りには渋谷へ寄ることも多く、さらにファッションへの興味が止まらなくなりました。
理事長先生のお宅には女子美の高校生や大学生も来ていて、そのお姉さんたちの洗練された装いにシビれました。当時は、モノトーンを基調とした少し個性的で大人っぽいファッションが流行っていて、そのお姉さんたちもそんな雰囲気だったのです。私は、そんな装いをとても素敵だと思っていました。
その後、父と一緒に服を買いに行くと、当時流行していた、高校生や大学生が着ているような、モノトーンを基調とした少し個性的で大人っぽい服を選ぼうとすると、「それはダメだ」と言われることがありました。黙って伊達メガネを買って身につけていた時も同じでした。理由は分かりませんでしたし、その頃の私は、それ以上聞くこともありませんでした。
今思えば、子どもの頃のそうした経験は、知らず知らずのうちに私へ影響していたのかもしれません。でも、それは父だけの考え方だったわけではなく、当時の時代の空気そのものだったのでしょう。
「女の子なんだから女の子らしい服を着なさい」と親が子どもに言ったり、「40代を過ぎてその服装はおかしいよね」とか、「おばあさんはおばあさんらしい服装をしていた方がいい」というような空気は、今よりずっと当たり前にありました。でも、それに従う必要はありません。とはいえ、実際には誰かに押し付けられているというより、自分自身がそう思い込んでいることの方が、多いのかもしれません。 これも昭和あるあるですが(令和でもそういう人はいるかもしれませんが)、私が20代の頃は、彼氏から「こういう服装をしてほしい」と言われたり、「髪をショートにしたいけれど、彼氏に怒られちゃうから」と言って、それに従っている女性を見かけることもありました。
もちろん、お互いが納得した上で楽しんでいるのであれば、それはそれで良いと思います。でも、もしそこに自分の本心とのズレがあるのなら、私は続けない方が良いと思っています。そうしたズレを積み重ねていくと、少しずつエネルギーにも歪みが生じていくからです。
先日、蔦屋書店で、明らかに50代以上だろうと思われる女性が、昔、アムロちゃんが履いていたようなブーツをギャル系のミニスカートに合わせているのを見かけました。もちろん、50代がそのような服装をしてはいけないという決まりはありません。ただ、その方の場合は、その方自身のエネルギーと服装のエネルギーが一致していないように私には感じられました。でも、だからといって「変えた方がいい」とは思いません。そこには、その人なりの心理的な背景や、今まさに表現しようとしている未消化のエネルギーがあるのかもしれないからです。
また、サンリオのキャラクターの世界のようなファンタジックな服装をしている中年のカップルを見かけたこともあります。その服装を見て、違和感を覚えたり、批判したくなったりする人の気持ちも分からなくはありません。でも、私は、その人たちなりの心の表現なのだと思っています。その装いをすることで気持ちが明るくなったり、落ち着いたり、癒されたり、あるいは昔から憧れていた世界を表現しているのかもしれません。そして、それもまた、その人が自分自身を表現する一つの方法なのでしょう。
逆に、一見するととてもセンスの良い服装をしている人でも、必ずしも内側のエネルギーが調和しているとは限りません。だから、人のファッションをあれこれ評価する必要はありませんし、他人の目を気にし過ぎる必要もありません。もちろん、TPOが求められる場面はあります。でも、自分に無理をさせてまで、誰かが提案した「正解」を身につける必要はないのです。
自分自身を自然に表現していきたいのであれば、自分が本当に心地良いと感じるものを選ぶことです。その「心地良い」と感じるものは、さまざまな経験を重ねる中で変化していくこともあります。だからこそ、その時々の自分が、本当に心地良いと感じるものを選んでいけば良いのだと思います。そうすることで、自分自身を少しずつ生き始めるのだと思います。
ちなみに私は、自分が一番心地良い服が何かを知っているので、今は滅多に服を買わなくなりました。スウェットパンツとデニムパンツさえあれば満足です。
それが、今の私には一番心地良いのです。
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