正しい霊的世界の知識、妖精さんではありません
- 2025年2月9日
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更新日:7月28日

空中に浮かぶオーブを「妖精さん」だと思っている人が、かなり多いようです。しかし、私がこれまで見てきたオーブは妖精ではなく、霊体です。
ただし、写真や動画に丸い光が写ったからといって、そのすべてが霊体だというわけではありません。フラッシュの光が、レンズの近くにある埃や花粉、水滴などに反射して、半透明の丸い光として写り込むこともあります。
私がここで「オーブ」と呼んでいるのは、そのような光学的な現象ではなく、私自身が肉眼でも見ていたものや、これまでの経験から霊的なエネルギーを伴っていると識別したものです。
オーブは、しばしば心霊スポットや、霊的に「エネルギーが強い」とされる場所で目撃されます。未成仏霊のような存在だとは考えたくないために、より可愛らしく、安心できる「妖精さん」というものに置き換えている人もいるのかもしれません。または、それが何の霊なのかを識別できない人が、そう呼び始めた可能性もあると思います。まあ、霊など、いちいち識別しなくてもいいですし、むしろ、むやみに識別しようとしないほうがいいのですが。
そして、何をもって「妖精さん」と言っているのかも不明です。人を守護してくれる良い霊のような存在だと思っている人が多いようですが、私が捉えている「妖精」は、そのようなものではありません。
自然の多い場所に行くと、時々、小さな光のフラッシュや、光の玉を見ることがあると思います。それは、人格や霊魂を持った霊体ではなく、植物が発しているプラーナ、つまり生命エネルギーです。私が「いわゆる妖精の正体」と考えているものは、この植物のプラーナです。
それらのプラーナには、人間のような意思や人格はありません。ですが、エネルギー的にコンタクトを取ることは可能です。
ただし、植物のプラーナ、つまり妖精と呼ばれているものと、直接言葉で対話することはできません。プラーナとエネルギー的に繋がったり、その人のスピリチュアルガイドを通じて何らかの意味や情報を受け取ったりすることはありますが、コンタクトといっても、あくまでもエネルギー的な繋がりを持つことにとどまります。
そのため、妖精とコンタクトを取っているつもりの時に、何らかの言葉が入って来るのであれば、それは妖精ではない別の存在が話しかけて来ています。
話しかけて来た存在が、自分のハイヤーセルフやスピリチュアルガイドであればよいのですが、必ずしもそうとは限りません。ですから、何か言葉が入って来たからといって、すぐに「妖精が話しかけてくれた」などと思わないほうがよいです。妖精は、言葉で話しかけては来ません。
よく、写真や動画などにオーブが映っているのを見かけますが、光学的な現象ではない場合、それは妖精ではなく、その辺りを浮遊している霊であることが多いです。未成仏霊ですね。
私がこれまで見てきた限り、人が集まる場所ほど、そのような霊体も多く集まっています。
以前、ハワイのワイキキにあるカラカウア通りで撮影された写真に、無数のオーブが写っているのを見たことがあります。
同じ場所で続けて撮影した写真ではなく、カラカウア通りのいくつかの場所で撮影されたものでしたが、すべての写真にオーブが写っていました。私は最初にその写真を見た時、たくさんのシャボン玉が空中に浮かんでいるのかと見間違えてしまったほどです。とにかく、もの凄い数のオーブでした。
ワイキキを訪れる観光客の多くが利用するカラカウア通りには、ホテルやレストラン、店舗などが立ち並び、夜になってもたくさんの人が歩いています。
その写真を撮影した時の詳しい撮影条件までは分かりませんので、写っていたもののすべてが霊的なオーブだったと、写真だけから断定することはできません。ですが、私はこれまでの経験から、その中には霊的なオーブも多数含まれていたのではないかと感じました。繁華街など、人が集まりやすい場所ほどオーブが多いというよりも、霊が多く集まって来るのです。
私はかつて、肉眼でオーブが見えることがありました。ある日、突然見えるようになってしまったのです。
しばらくは、その状態が続きました。ですが、自分で見える状態をコントロールできるようになってからは、自動的にオーブが見えることもなくなりました。(時々うっかり見えてしまうことはあります)
一番最初に肉眼でオーブが見えたのは、鎌倉駅近くの、とあるトンネル付近でした。
夜8時頃、車で走っている時に、地面の近くを這うようにして、複数の火の玉が漂っていました。
最初は目の錯覚かと思いました。トンネルの電灯が、フロントガラスか何かに反射しているのではないかとも考えました。
ですが、トンネルを通り過ぎた後の通常の道路でも、真っ暗な道の地面近くに、火の玉が漂っていました。それらは自ら光を発していました。
その翌日から、交通量の多い国道や、主要な駅の周辺など、色々な場所で火の玉を見かけるようになりました。当時は鎌倉の某コーヒー店によく行っていたので、引き続き鎌倉でも、それらを見かけていました。
面白いと思ったのは、歴史の深い鎌倉よりも、交通量の多い国道沿いや、藤沢駅周辺のほうが、火の玉の数が多かったことです。
鎌倉には、鎌倉時代にまつわる、いわく付きとされる場所がいくつもあります。鎌倉から少し外れた逗子のほうには、その時代に色々なことがあった城跡などもあります。ですが、そのような歴史のある場所よりも、藤沢駅や交通量の多い国道沿いのほうが、火の玉の数が圧倒的に多かったのです。
歴史のある場所には、数えられるほどの火の玉しかありませんでした。一方で、多数の人が集まる場所には無数の火の玉があり、視界を埋めるほどでした。
また、歴史のある場所で見かけていた火の玉は、すべて地面を這うように、ウロウロと漂っていました。それに対して、藤沢駅や国道で見かけたものは、人の背丈と同じくらいの高さを漂っていました。色も、少し違っていました。色や動き、そこから感じるエネルギーが、藤沢駅周辺で見たものとは異なっていたため、鎌倉でよく見た火の玉は、時間がかなり経っている古いもののように、私には感じられました。
私が肉眼で見かけていた火の玉は、写真や動画に映り込む霊的な「オーブ」と、同じ種類のものだと思います。写真では色がついていないことが多く、その大抵は半透明の丸い玉のように見えます。ですが、肉眼で見ると、尾を引きながらゆらめく火の玉のように見えました。
写真と肉眼では見え方が異なりますが、現れる場所や動き、そこから感じるエネルギーなどから、私には同じ種類のものだと思えました。
このような火の玉を肉眼で見たことがある人は、私以外にも何人かいました。「車を運転していると、火の玉がぶつかって来て怖かった」と相談されたことがありますが、これは私自身も何度も経験しました。運転中に、本当に多数の火の玉がフロントガラスへ向かって来るように見え、前方が見えなくなるのです。
結構な雨が降っている時に、ある程度のスピードで車を走らせていると、横殴りの雨が次々とフロントガラスにかかって来ます。それと同じような感じで、色のついた火の玉が多数ぶつかって来るのです。
当時の私は、頭を動かしながら、次々と向かって来る火の玉の隙間から前方を見て、スピードを落として運転していました。
ですが、もしも同じようなことが起こり、視界が妨げられる場合には、無理に運転を続けず、安全な場所に停車してください。
また、光の点や閃光のようなものが突然見える場合には、霊的なものだと判断する前に、目や神経の問題でないことも確認する必要があります。霊的な知覚と、身体に起きている症状は、分けて考えなければなりません。
火の玉といえば、余談ですが、私の母は大学生の頃、東京タワーのまあまあ近くに住んでいました。あの辺りには、何気にお寺などが多く、母が暮らしていた家の窓からは、墓地が見えたそうです。母は、「人が亡くなって、新しく誰かがお墓に入ると、その直後からしばらくの間、火の玉が出るんだよ。リンが燃えているのかもしれない」と言っていました。母は、それを肉眼で見ていたそうです。
ですが、本当に母が何を見ていたのかは分かりません。「骨に含まれるリンが燃えた」という説明は、昔から火の玉について語られてきた説の一つですが、母が見たものが、本当にそのような物理現象だったのかどうかは不明です。
少なくとも、母が話していた火の玉と、私や私のお客さんが見た火の玉とは、見え方や性質が異なっていたように思います。
話を元に戻しますが、なぜ、火の玉やオーブは、人が集まる場所で多く見かけられるのでしょうか。
私がこれまで見てきた浮遊霊には、光のある場所に集まりやすい傾向がありました。
浮遊している霊は、「光の窓」を探し続けています。ここで言う「光の窓」とは、その霊が成仏していく先へ向かうための入り口です。
自らがこの世に念を残しているために、成仏できない状態に陥っているのですが、それでも結局は、早くこの世から離れたいという思いがあるようです。
街の明かりそのものに寄って来ることもあるのかもしれませんが、私が見てきた限り、浮遊している霊は、生きている人が発する霊的な光にも吸い寄せられます。そして、その光を、成仏していくための「光の窓」と勘違いしてしまうようなのです。
繁華街、駅、学校、コンサート会場、スタジアムなど、人が集まる場所には、そこにやって来る人の数だけ光があります。そのため、「光の窓」を求める浮遊霊も、多く集まって来ます。
人の多い場所へ行くと疲れてしまうという人は、単に他者が発するエネルギーが多過ぎるから疲れるというだけではないのだと思います。すでに肉体を持たない存在までもが集まっているため、場のエネルギーが混沌とし、余計に疲れてしまうことがあるのです。
浮遊している霊は、そのような場所に留まっていることが多いのですが、そこへやって来た「生きている人」に、ついて行ってしまうことがあります。霊体そのものが、人について来たり、その人のエネルギー体に留まったりすることを、私は「霊の張り付き」と呼んでいます。
一方で、霊体そのものがついて来るのではなく、その場所や人に残っていた濁ったエネルギーだけが、オーラにつくこともあります。それが、いわゆる邪気です。霊の張り付きと、邪気がオーラにつくことは、別の現象です。
繁華街などへ行った後に、邪気や霊を持ち帰ってしまうことがあるのは、このようなことが原因です。エネルギーに敏感な人やサイキックが、人の多く集まる場所を嫌うことがあるのも、このような理由からです。
人の写真や動画などにオーブが映り込んだ時には、少し注意が必要かもしれません。私はこれまで、オーブが人の体にまとわりついていたり、体の中へ入って行っている、あるいは体から出て行っているかのように写った後に、その人が体調を崩したり、病気になったりするケースを何度か見てきました。
ある人の飼い猫を10枚ほど撮影した時には、すべての写真に、猫の体へオーブが入って行くかのようなものが写り込んでいました。しばらくして、その猫は体調を崩し、病院通いをすることになりました。
もちろん、写真にオーブが写ったから病気になったと、写真だけを見て単純に決めつけることはできません。ですが、私の経験上、オーブが人や動物の体にまとわりついたり、出入りしているように写った時には、その後の心身の状態に注意を向けたほうがよいと考えています。
これは人だけではなく、一緒に暮らしている動物にも起こることがあります。人と一緒に生活している動物は、飼い主や家のエネルギーの影響を強く受けます。邪気などが蓄積した人から、その影響を受けてしまう子もいます。
ただし、人や動物が体調を崩した時には、霊的な対処や浄化だけで済ませないでください。人であれば医療機関へ、動物であれば動物病院へ行き、身体的な原因をきちんと調べることが必要です。霊的な原因があると感じることと、必要な医療を受けることは両立します。
ということで、動画や写真にオーブが写った時に、「妖精さんが守ってくれている」と安易に考えるべきではありません。
まずは、それが埃や水滴などによる光学的な現象なのか、それとも霊的なものなのかを見極める必要があります。
撮影条件を変えても繰り返し写る、その人や動物の体の周りにまとわりつくように写る、体へ出入りしているように見える、肉眼でも同じようなものが見える、写真を見た時に独特の重さや違和感を感じるなどの場合には、少し注意したほうがよいと思います。
霊的なオーブだと感じる場合には、喜ぶのではなく、浄化を行い、その人や動物の心身の状態にも注意を向けたほうがよいのです。
オーブが写っているからといって、「妖精さんが守ってくれている」と喜んでいる場合ではありません。
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