才能は努力で作るものではなく、思い出すものかもしれない。
更新日:7月6日

最近、気づいたことがあります。
それは、私自身も含めて、スターライト・エンライトメントを受けた方々の中に、ご本人ですら思ってもみなかったような適性や才能、能力を新たに発見している方が、思いのほか多くいらっしゃるということです。
もちろん、人は人生の中で成長し、新しい経験を重ねることで、自分でも知らなかった一面を発見することがあります。それ自体は決して珍しいことではありません。しかし、私が興味深いと感じたのは、その変化が偶然一人、二人に起こった出来事ではなく、時期を同じくして複数の方から、しかも非常によく似た内容のご報告をいただくようになったことでした。
特に印象に残っているのは、年末頃から届き始めたメッセージです。「思ってもみなかった分野に、自分の適性があることを発見しました。」このような内容のご報告を複数いただきましたし、個別セッションの際にも、同じようなお話をしてくださる方が少なくありませんでした。
皆さんのお話には、それぞれ人生も職業も年齢も違うにもかかわらず、不思議なほど共通する点がありました。「今まで自分には関係のない世界だと思っていました。」「自分には向いていないと決めつけていました。」「昔から苦手だと思って避けていました。」「才能なんてないと思っていたので、最初から選択肢にも入れていませんでした。」そのように話される方が、本当に多かったのです。
ところが、何かをきっかけに実際に取り組んでみると、それまで抱いていたイメージとはまったく違う感覚を経験されたとおっしゃいます。「やってみたら想像以上に楽しかった。」「気づけば夢中になっていました。」「不思議なくらい無理なくできて、自分でも驚いています。」「努力しているという感覚よりも、自然に身についていく感覚があります。」「そのことを考えているだけで時間を忘れてしまいます。」
さらに多かったのは、このようなお話でした。
「その分野について考えていると、不思議なくらいアイデアが次々と湧いてきます。」「どうすればもっと良くなるのかが自然に見えてきます。」「以前なら思いつかなかったような発想が、次々に浮かぶようになりました。」「まるでその仕事に合わせるように、自分の考え方が自然と広がっていくんです。」
もちろん、アイデアは誰にでも浮かびます。しかし、多くの方がおっしゃっていたのは、「一生懸命考えてひねり出した」という感覚ではなく、「自然と湧いてくる」「止まらない」という感覚でした。私はこの点が、とても印象に残っています。もちろん、その内容は人それぞれです。新しい仕事に挑戦した方もいれば、趣味として始めたことが仕事へと発展した方もいます。長年勤めてきた会社の中で、自分らしい役割を見つけた方もいれば、まったく経験のなかった世界へ飛び込み、自分でも知らなかった能力を発揮し始めた方もいました。
教育、接客、企画、クリエイティブ、ものづくり、経営、情報発信、技術職など、その分野は本当にさまざまです。つまり、「この能力が開花する」という決まったパターンがあるわけではありません。人によって現れ方はまったく違います。しかし、一つだけ共通していることがあります。それは、発見された適性や才能が、結果として仕事や社会での役割へと結びついていくケースが非常に多いということです。単に「新しい趣味が見つかった」という話では終わらないのです。
もちろん趣味から始まることはあります。しかし、その先で誰かの役に立ち、人とのつながりが生まれ、仕事へ発展し、自分らしい役割になっていく。そのような変化を経験される方が、とても多いことが印象に残っています。この現象を見ていて、私は一つ考えるようになりました。それは、「好き」と「適性」は、必ずしも同じではないということです。
現代では「好きなことを仕事にしましょう」という言葉をよく耳にします。それ自体は素晴らしい考え方だと思います。しかし、実際には「好きだから向いている」とは限りません。反対に、最初はまったく興味がなかったことや、自分には縁がないと思っていたことに、実は高い適性が隠れている場合があります。
今回いただいたご報告の多くも、まさにそのようなケースでした。最初から大好きだったことではありません。むしろ「自分には無理だと思っていた」「やったこともない」「興味があるとさえ思っていなかった」というものばかりでした。ところが、一歩踏み出してみると、自分でも驚くほど自然にできる。理解が早い。改善点が次々に見えてくる。アイデアが湧く。そして、気づけば楽しくなっている。私は、この順番がとても大切なのではないかと思っています。
私たちは、「好きだから得意になる」と考えがちです。しかし実際には、「自然にできるから好きになる」ということも少なくありません。人は、自分が成長を感じられるものに喜びを感じます。昨日できなかったことが今日できるようになる。工夫したことがうまくいく。誰かの役に立てる。その積み重ねが、「好き」という感情を育てていくこともあるのです。
もちろん、適性があるということは、「何もしなくてもできる」という意味ではありません。どんな分野であっても、新しいことを身につけるには時間も経験も必要ですし、壁にぶつかることもあります。しかし、適性のある分野には一つ特徴があります。それは、努力そのものが苦痛になりにくいということです。うまくいかなかったとしても、「もう少し工夫してみよう」「次はこうしてみよう」と自然に考えられる。わからないことがあれば、自分から調べたくなる。少しでも上達すると、それが次の意欲につながっていく。そのような循環が生まれやすいのです。
一方で、適性があまりないことは、どれだけ頑張っても前に進まないような感覚になりやすく、努力そのものが消耗へと変わってしまうことがあります。もちろん努力で補える部分もありますが、長い人生を考えたとき、自分が自然に力を発揮できる場所を見つけることは、とても大きな意味を持つのではないでしょうか。では、なぜ私たちは、そのような適性に気づかないまま過ごしてしまうのでしょうか。私は、その大きな理由の一つが「思い込み」にあるのではないかと感じています。
私たちは子どもの頃から、「自分はこういう人間だ」「これは向いている」「これは向いていない」「自分には無理だ」「これは自分とは縁のない世界だ」と、家庭環境や学校教育、友人との比較、周囲からの評価、社会の価値観などを通して、数え切れないほどの自己イメージを積み重ねながら生きています。その自己イメージは、最初は一つの経験にすぎなかったかもしれません。
一度失敗した。先生にそう言われた。親に向いていないと言われた。周りの人と比べて苦手だと思った。それだけのことが、いつしか「私はそういう人間なのだ」という前提へと変わっていきます。そして、その前提を疑うことなく大人になります。
その結果、本来なら興味を持っていたかもしれないことにも近づかず、「どうせ向いていないから」と最初から可能性を閉じてしまうことがあります。
実際には挑戦したことがないにもかかわらず、自分にはできないと決めつけてしまうのです。しかし、その思い込みが少しずつ緩み始めると、不思議なことが起こります。今まで見えていなかったものが目に留まるようになる。今までなら避けていたことに、「少しやってみようかな」という気持ちが生まれる。そして一歩踏み出した結果、「こんなに自分に向いていたなんて」と驚くことがあります。
私は、そのような場面を何度も見てきました。だから最近は、「能力が与えられた」というよりも、「もともと存在していた能力に本人が気づいた」という印象を受けることのほうが多いのです。もちろん、それを科学的に証明できるわけではありません。
これは、これまで多くの方々と接し、自分自身の変化も含めて観察してきた中での、私自身の一つの考察です。
今までなかった才能が突然生まれたというよりも、もともと自分の中に存在していた資質が、それを発揮できる環境やタイミングと出会ったことで、初めて表面に現れた。そのように見えるケースがとても多いのです。だからこそ、その変化はとても自然です。無理をして別人になるわけではありません。自分を大きく変えようと努力するというより、「これが本来の自分だったのかもしれない」と感じる方が多いように思います。
私は以前、「魂とは何か」を考えていた時期がありました。その中で一つ感じるようになったのは、人は何かを外から付け加えることで本来の自分になるのではなく、むしろ不要な思い込みや恐れ、過去の自己イメージを少しずつ手放していくことで、本来持っていたものが自然と現れてくるのではないか、ということです。もしそうだとすれば、「才能を得る」という表現よりも、「才能に気づく」という表現のほうが、実際の変化に近いのかもしれません。
そして、私が最も興味深いと感じているのは、その先に起こる変化です。適性に気づいた方々は、それを自分だけの楽しみで終わらせることがあまりありません。自然と誰かの役に立ちたいと思うようになったり、その能力を社会の中で生かす方法を考え始めたり、新しい仕事や活動へと発展していくケースが非常に多いのです。
それは、「仕事を探す」という感覚とは少し違います。むしろ、自分が自然にできることを続けていたら、それを必要としてくれる人が現れた、という流れに近いように感じます。だから私は、この一連の変化を見ていて、「仕事を見つける」というよりも、「自分の役割を見つける」という言葉のほうがしっくりきます。もちろん、すべての人が同じような変化を経験するわけではありません。変化のスピードも、人それぞれです。すぐに見つかる方もいれば、何年もかけて少しずつ気づいていく方もいます。
それでも、多くの方々の歩みを見せていただく中で、私が共通して感じていることがあります。それは、人は自分自身のことを理解しているようでいて、実はまだ知らない可能性を数多く秘めているということです。そして、その可能性は、何か特別な人だけに与えられているものではなく、誰の中にも静かに存在しているのかもしれません。
だからこそ、自分には向いていない、自分には才能がない、自分には関係のない世界だと、最初から可能性を閉ざしてしまうのは、とてももったいないことなのだと思います。私自身、そしてスターライト・エンライトメントを受けられた多くの方々の変化を見てきた今、以前よりも強く感じることがあります。人は、自分で思っている以上に、自分自身の可能性を知りません。
だからこそ、もし心のどこかで少しでも惹かれるものがあるなら、あるいは「なぜかわからないけれど気になる」と感じるものがあるなら、一度だけでも、その世界に触れてみる価値はあるのではないでしょうか。その一歩が、思い込みの中では決して出会うことのなかった、本来の自分自身との出会いにつながることもあるのです。
もちろん、これは現時点で私自身が多くの方々の変化を見続けてきた中で感じている一つの考察であり、科学的に証明された結論ではありません。それでも、これまで数多くの方々のお話を伺い、自分自身の変化も含めて振り返ってみると、一つだけ繰り返し感じることがあります。
スターライト・エンライトメントとは、新しい能力や才能を外側から与えるものではないのではないか、ということです。
むしろ、本来その人の中に存在していた資質や可能性を覆っていた思い込みや恐れ、「自分には無理だ」「自分には関係ない」という自己イメージが少しずつ緩み、その人が本来持っていた力が自然に表へ現れやすくなる。そのようなプロセスなのではないか、と私は感じています。
だからこそ、変化はどこか自然です。突然まったく別人になるわけでも、特別な能力を授かるわけでもありません。以前から自分の中に存在していたものが、「これでよかったんだ」「これが自分だったんだ」と少しずつ輪郭を持ち始める。そのような感覚を、多くの方が言葉は違っていても共通して語られます。
そして、その変化は単なる自己満足で終わらないことが多いのも印象的です。本来の自分らしさが現れてくると、不思議なことに、その人の能力を必要とする人や環境との出会いも少しずつ増えていきます。自分のためだけではなく、誰かの役に立つこと、社会との接点を持つこと、仕事として形になっていくことへと自然につながっていく。そのような歩みを、私は何度も見せていただいてきました。
もちろん、その道筋は人それぞれです。すぐに仕事へ結びつく方もいれば、数年かけて少しずつ形になっていく方もいます。趣味として楽しみ続ける方もいれば、人生そのものが大きく方向転換していく方もいます。
大切なのは、誰かと比べることではなく、その人自身の中に眠っていた可能性が、その人らしい形で少しずつ現れてくることなのだと思います。
私たちは、自分自身のことを知っているようでいて、実はまだ知らない自分をたくさん抱えながら生きています。過去の経験、周囲の評価、社会の価値観の中で、「私はこういう人間だ」と思い込んできた自分と、本来の自分は、必ずしも一致しているとは限りません。だからこそ、自分には向いていないと決めつけていた世界の中に、本当は最も自分らしく生きられる場所があることもあります。
今回ご紹介した皆さんの体験は、私にそのことを何度も教えてくださいました。もしこの記事を読んでくださっている方の中にも、「自分には関係ない」「自分には才能なんてない」と思っていることがあるなら、それは本当に事実なのか、一度だけ問い直してみてください。
その思い込みの向こう側には、まだ出会ったことのない自分自身が静かに待っているのかもしれません。そして、その新しい自分との出会いは、「何か別の人になること」ではなく、「本来の自分を思い出すこと」なのではないか。今の私は、そのように感じています。 END



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