宇宙の流れに導かれて──繋がる縁、離れる縁

オーラの波動が変化すると、縁が切れてしまう人というのもいるものです。これは決して、どちらが良いとか悪いとか、どちらの波動が上だとか下だとか、そういう話ではありません。ただ、自分自身のオーラの波動が変わった時というのは、物事の流れや、周りの環境の反応などから分かることがあります。そして、より一層センサーが鋭くなり、今までとは違う領域のものにも反応するようになります。本当に些細な波動までも拾うようになるので、「ああ、自分が感じ取れる範囲が広がったのだな」と理解するのです。
この仕事を始めてから、私は少しずつ段階を経て、感じ取れる範囲が広がって行きました。その段階は、細かいものまで含めると20段階以上あったと思いますし、今も尚さらにその範囲は広がって行っている最中です。以前なら気にならなかったもの、見過ごしていたもの、ただの偶然だと思っていたものにも、ある時からはっきりと反応するようになっていきました。
そうやってオーラの波動が変化し続けると、プライベートでの人間関係も勝手に変化して行ってしまいます。こちらが何かを意図的に整理しようとしなくても、自然に会えなくなったり、連絡が遠のいたり、反対に新しいご縁が勝手にやって来たりします。このような変化は昨年の秋から非常に分かりやすく起きるようになり、去年の秋や今年の春にも、別の2人の友人達となかなか会えない状況が続いていました。
ただ、去年よりも今年はさらに顕著でした。というより、私には宇宙の流れというものは、ときに驚くほど強引に感じられるのです。以前から仲良くしていた友人と、約束の日を決めても、何度リスケをしても、絶対に絶対に会えないのです。普通であれば、1回や2回予定が合わないことはあります。体調不良や仕事、家族の事情などで予定が変わることもあります。でも、何度も何度も、まるで見えない何かに止められているように会えないとなると、さすがに「これはただの予定の不一致ではないな」と感じるようになります。
4〜5年ぶりに連絡をくれた友人と会おうとした時も、まさにそうでした。滅多に風邪や熱が出ない私が謎の熱を出したり、リスケをしても、当日は津波警報で電車が動かないため相手がこちらに来られなかったり、その他の事情が起きたりして、結局4回リスケをしても会えませんでした。その時点で、宇宙が何かを取り計らっているような、流れのようなものを感じてはいました。
その中でも少し謎だったのが、その友人と会うために予約したレストラン選びについてです。駅を中心として候補は3つありました。川の向こう、海側、陸側のレストランです。川の向こうのレストランは地元の人々に長らく人気で、料理の価格が安めの割にとても美味しいお店です。海側のレストランには、とある料理のジャンルで近年チャンピオンを獲ったシェフがいて、価格は少し高めです。陸側のレストランはオーシャンビューで眺めがとても良いのですが、観光客向けのレストランで、価格も観光客向け価格で、味はその価格ほどではありません。
この3つから選ぶとなると、普通に考えれば、川向こうか海側かという感じでした。地元の人に人気で美味しい川向こうのお店か、チャンピオンを獲ったシェフがいる海側のお店か。そのどちらかを選ぶのが自然だったと思います。ところが私は、無意識に頭の中でこんな事を呟いていました。
「この日は津波が来るかもしれないから、1.5mとか3mとかの津波来ちゃったら、川向こうだと橋を渡るのが怖いな…。1mくらいなら海側のあの店は大丈夫かもだけど、3mだとヤバいな…。もしもデカめの津波来たらすぐに逃げられるようにするには陸側のあの店だな。」こんな事を考えつつ、「いやいやいや、なんでこの日に津波が来るとか思ってんの?」と自分でツッコミを入れながら、私は陸側の観光客向けのレストランを、スマホ画面から予約していました。自分でも不思議でした。味や価格で選ぶなら、他の候補の方が良かったはずです。それなのに、なぜか「もし津波が来たら」という前提でレストランを選んでいたのです。
そして当日、午前中に津波警報が発令され、電車が止まって動きませんでした。それは、ちょうど待ち合わせの時間が近づいていた頃でした。こちらは1m〜3mの津波が来ると予測されていました。今までも津波の注意報が発令されたことはありますが、電車が止まってしまうのは初めてでした。
その後、予約しておいたレストランから電話が来ました。
「今日は津波警報が出ているのでお店を閉めます。大変申し訳ございません!」ということで、その友人とは会えませんでした。結果として、私は無意識に「津波が来た場合」を想定してお店を選び、実際にその日に津波警報が出て、電車も止まり、お店も閉まり、会う予定そのものが完全になくなったのです。
今までその友人と会う時は、必ず誰か他の人も一緒にいて、2人で会うことはありませんでした。そのため、その友人の波動について、あまり気にしたことがありませんでした。ところが後から共通の友人からその友人の近況を聞くと、その頃の彼女は、おそらく今の私とは波動が合わない状態だったのだと思いました。
どうやら彼女は、自ら物事の暗い側面へ関心を向けるようになり、いつの間にか視点や物事の捉え方も、以前とは大きく変わってしまっていたようでした。以前から少しネガティブな物事に興味を持っているような雰囲気はありましたが、最近は「悪魔との契約」とやらにも関心を持っているとのことで、その頃の彼女は、私とはまったく違う方向へ意識が向いているように感じました。そして、いつの間にか受け取ることが多く、与えることや感謝の循環も以前より薄くなっているようだと聞きました。
残念ですが、「友人」として付き合うには、お互いの波動が大きくズレてしまい、以前のような関係ではいられなくなってしまったのだと思いました。ここで誤解してほしくないのですが、私は自分の方が波動が高いと言っているわけではありません。単に、お互いの波動が合わなくなってしまったということです。波動が合わなくなると、以前のように自然に話せない、会ってもどこか違和感がある、そもそも会う流れそのものが生まれない、といったことが起きるのだと思います。
私はこの時、「あの人とは本当に縁が切れたんだな。」と悟りました。きっとこれまでにも、このような事には何度も遭遇していたのだと思います。けれど、波動が違ってしまうと、何回約束をリスケしてみたところで、どうしても会えない、つまり交流できないことがあるのだということを、私は初めてはっきり意識しました。こういうのが「宇宙の流れ」なのでしょう。
そういえば、私の親密な友人たちの輪の中には、一方的に受け取ることばかりを求める人や、感謝の循環が薄い人はいません。ありがたいことに、みんな本当に善良で洗練された人ばかりです。だからこそ、普段の人間関係の中では「奪われる」「重い」「違和感がある」という感覚があまりありません。むしろ、それぞれが自立していて、無理に踏み込まず、でも必要な時にはちゃんとつながる。そのような関係性が自然に残っているのだと思います。
私は、このような「宇宙のサインのようなもの」は、きっと誰にでも現れているのだと思っています。ただ、そのサインに気づけるかどうかは別の話です。思い込みや思考パターンの癖が強いと、サインを取り違えてしまったり、サインそのものに気づけなかったりすることがあります。
本当は違和感を感じているのに、「長い付き合いだから」「せっかく誘われたから」「普通はこうするものだから」と一般論を優先して我慢し続けてしまうこともあります。反対に、一時的な感情や勝手な思い込みだけで、自分を成長させてくれる人を遠ざけてしまうこともあります。だから私は、「違和感があるから離れればいい」「気が合う人だけを選べばいい」という単純な話ではないと思っています。大切なのは、その違和感がどこから来ているのかを丁寧に見極めることです。
実際、自分と相手の波動がズレて来つつある時にその相手と会うと、「ちょっと待って、この人の波動、なんか私と合わない感じがするんだけど…」という違和感が出ます。ところが、その理由を言葉にするのはとても難しいのです。相手の話し方や声のトーン、表情、前髪やメイクの仕方、ジャケットの襟についたシワなど、本当にあらゆるところから受ける印象に違和感を覚え、「なんかこのエネルギー、私ダメかも…」という感覚になります。
ここで誤解しないでいただきたいのですが、私は人の身なりに文句をつけるようなタイプではありません。その人が好きでやっていることなのですから、私がとやかく言うことではないと思っていますし、服にシワがあることも当たり前です。前髪やメイクが少しちぐはぐだったとしても、本来であれば気になりません。
つまり、私が違和感を覚えているのは、そうした外見そのものではありません。外見を通して伝わってくる、その人全体のエネルギーに反応しているのです。私自身は、その見えない違和感を脳が外見や雰囲気などの目に見える情報へ変換して認識しているのではないか、と感じています。
もちろん、これは科学的に証明された話ではなく、長年さまざまな方々と接し、自分自身の「波動を感じ取る感覚」を観察し続けてきた中での、私なりの考察です。
では、なぜそのような部分が気になってしまうのでしょうか。私は長い間それが不思議でした。そして今感じているのは、それは外見に反応しているのではなく、波動に反応しているのだということです。波動というものは目には見えません。だから私たちの脳は、その見えない違和感を何とか理解しようとして、外見や話し方、雰囲気など、目に見える情報へ変換して認識しているのではないかと思うのです。
つまり、「前髪が気になる」「ジャケットが気になる」のではなく、その人全体から発せられるエネルギーを受け取り、それを脳が翻訳した結果として、そう感じているのではないかということです。もちろん、これは私自身がこれまで数多くの方々と接し、自分の感覚を観察し続けてきた中での考察です。
一方で、昔からの付き合いの友人たちとは、今でも頻繁に連絡を取り合っています。いつも政治の話や時事問題について話しているせいか、そこから自然と、「この先、日本はどうなっていくと思う?」「私たちはこれからどう動いていこうか」といった話になることが多くなります。そうやって今の考えや感覚をその都度共有しているせいか、私は波動のズレを感じることはありません。突然「今日会おう」となっても、お互いの予定が不思議なくらい合い、自然と会うことができています。
このことを踏まえると、会う頻度が少なくなると、お互いの変化を共有する機会も自然と減っていきます。そのため、気がついた時には波動や価値観が大きくズレている、ということもあるのかもしれません。人は誰でも少しずつ変化し続ける存在です。価値観も、興味も、生き方も少しずつ変わっていきます。その変化を共有する時間がなくなると、いつの間にかまったく違う方向へ歩いていることもあるのでしょう。しかしその一方で、宇宙の流れが連れて来るご縁、勝手につながるご縁というものもあります。
人とのつながりが途切れてしまうと、多くの人はショックを受けます。ですが、自然の流れに沿って切れていくご縁については、私は嘆く必要はないと思っています。誰かとのご縁が終わる時というのは、何も「失う」だけではありません。その空いた場所には、新しいご縁が自然とやって来ることも少なくないからです。
私はこれまで、そのような流れを何度も経験してきました。だから最近は、ご縁が切れることそのものを以前ほど怖いとは思わなくなりました。もちろん寂しさはあります。長く付き合った人であれば、なおさらです。それでも、そのご縁が自然に役目を終えたのであれば、その流れを尊重した方が、結果としてお互いにとって良いことが多いように感じています。反対に、切れていくご縁へ執着すればするほど、新しいご縁が入る余白は少なくなります。ご縁に執着しているようでいて、実際には「相手」に執着していることも少なくありません。
だから私は、無理に忘れようとするのではなく、「今までありがとう」と、一度手放してみることをおすすめしています。簡単なことではありません。私自身も、それが難しいことはよく分かっています。ですが、不思議なことに、本当に手放せた時ほど、人との関わり方や、ご縁の流れそのものが少しずつ変わり始めることがあります。
以前、インナーフロー・クリアリングを受けてくださったCさんも、そのようなお一人でした。
Cさんには、10年以上ずっと気になっている男性がいました。そして、ご自身で「これは執着心である」と冷静に分析されていたのです。私は、その姿勢が本当に素晴らしいと思いました。人は大好きな相手ほど、「執着している」と認めたくありません。多くの場合、「私はこれほどまでに愛している」と解釈したくなるものです。しかしCさんは、その感情を客観的に見つめることができていました。
そしてインナーフロー・クリアリング後、「変に意識がなくなった」「ぶら下がり感や期待、焦りがなくなった」「ごちゃごちゃ考えるのをやめられている」という変化を教えてくださいました。さらに不思議なことに、その直後、偶然その男性とすれ違い、今までなら強く動いていた感情が、とても穏やかになっていたそうです。私はこのメールを読んで、「執着がなくなる」ということは、相手を嫌いになることではないのだと改めて感じました。
執着がなくなると、相手をもっと自然に見ることができるようになります。そして、その状態になって初めて、本当のご縁がどう動いていくのかが見えてくるのかもしれません。こうして10年単位で想いが途切れなかったり、一旦離れたとしても再会してしまい、一緒に過ごさなければならない環境が作られてしまったりするのも、何か見えない世界においての秘密があるのでしょう。それこそ「ご縁」というものなのかもしれません。 END



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