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執着は、自分のエネルギーを拘束する

2023年11月22日
読了時間: 7分

更新日:8月10日


ものごとに関して理想を持つのはOKです。多少は「こうじゃなきゃ!」というこだわりを持っていてもOKだと思います。魂の性質上、またはこの次元における職業上、場合によってはそのようなスタンスで行かないとならない人もいると思いますのでね。しかし、これが行き過ぎるとやっぱりNGなわけで・・・。


行き過ぎたエネルギーは、やがて執着というものに変わって行きます。何でも自分の思い通りにしなければ気が済まないという類の執着のエネルギー(波動)はとても重く、かえってものごとがスムーズに行くための流れを乱してしまいかねません。本来なら自然な流れの中で叶って行くはずだった願いさえも、自分自身でその流れを重くしてしまうことがあります。


何故なら、執着するがために多大なエネルギーを使ってしまっているため、その他のものごとへ回す分のエネルギーが少なくなってしまっていたり、場合によってはほとんど残っていなかったりするからです。当人は気づいていないかもしれませんが、何かに執着している時というのは、結構な量のエネルギーを使うものなのです。


私たちは日々、仕事をしたり、人と関わったり、考えたり、身体を動かしたり、何かを生み出したりと、様々なところへ自分のエネルギーを流しながら生きています。その中の一つだけに必要以上のエネルギーを注ぎ続ければ、当然ながら、他へ流れて行くはずだったエネルギーは少なくなります。


しかもこれは、執着している対象について実際に何かをしている時間だけのことではありません。そのことを考え続ける、気にし続ける、結果を待ち続ける、何度も確認する、思い通りにならないことに苛立つ、頭の中で何度も同じことを繰り返す。そうやって、その対象を意識の中に持ち続けること自体にも、ずっとエネルギーが使われ続けています。


ですから、執着というのは、本人が思っている以上に長い時間、自分のエネルギーを一か所に拘束してしまうものなのだと思います。何かを強く願っているだけのつもりでも、そのことが意識の中から離れず、朝起きた瞬間から夜眠るまで何度もそこへエネルギーを送り続けているような状態になっていれば、それだけでもかなりの消耗になります。


そして、その対象へ注がれているエネルギーが大きければ大きいほど、本来なら仕事や身体の回復、人間関係、創造的なこと、あるいは別の願いを現実化して行くために使われるはずだったエネルギーまで、そちらへ持って行かれてしまいます。一つのことへエネルギーを使い過ぎた結果、その一つだけが上手く行かなくなるのではなく、それまで問題なく流れていた別のものごとまで、何となく滞り始めることがあります。


何かを生み出す力がなくなったり、人と関わることが億劫になったり、身体が妙に疲れたり、他のことに対して「動こう」というエネルギーそのものが出て来なくなったりすることもあるでしょう。それは、その人自身のエネルギーが突然なくなったというよりも、一つのところへ大量に流れ続けているため、他へ回す分が不足してしまっている状態なのかもしれません。


さらに執着というものは、そこへエネルギーを注げば注ぐほど、それで満足して終わるとは限りません。むしろ「まだ足りない」「もっと何とかしなければ」「まだ思い通りになっていない」と、さらにエネルギーを要求する状態になってしまうことがあります。そうすると、そのものごとに対してまたエネルギーを送り、また消耗し、それでも結果が出ないことでさらに執着を強めるという循環に入ってしまいます。


日々を過ごす中では、ご自身が関わっているものごとが思い通りに進まない時というのもあります。そこには必ずと言っていいほど何らかの理由があって、一旦立ち止まらなくてはならなかったり、気づかなくてはならないものがあったり、それは人によって異なりますが、色々です。


そのような時に、自分の思い通りにものごとが進まないからといって、どうにかしようと足掻いたり、さらに執着を強めてしまうと、そのものごとの流れやエネルギー場にはますます重さが増して行きます。そして上手く行かないどころか、エネルギー自体がマイナスに転じてしまうことがありますので注意が必要です。


動かないものを無理に動かそうとすることには、とても大きなエネルギーが必要です。それを一度だけではなく、毎日毎日「どうして動かないんだろう」「どうすれば思い通りになるんだろう」と考えながらエネルギーを注ぎ続ければ、その分だけ自分の中からエネルギーは出て行きます。その間にも人生は続いているわけですから、本来なら別のものごとを育てたり、身体を整えたり、仕事を進めたり、新しいものを作ったりするために使えたエネルギーまで、そこへ使われ続けることになります。


私は、ここが執着の怖いところの一つだと思います。執着している本人からすると、「この一つのことだけを何とかしたい」と思っているのですが、実際にはその一つのことだけで終わらず、自分の持っているエネルギー全体の配分にまで影響を及ぼしてしまうことがあるのです。一つのことに過剰なエネルギーを使った結果、別のものごとを動かすだけの力がなくなり、今度はそちらまで上手く行かなくなる。そして、上手く行かないものが増えれば、さらに不安になってエネルギーを使ってしまう。このようにして、全体のエネルギーのバランスが崩れて行く場合もあります。


エネルギーというものは、たくさん注げば注ぐほど良いというものではないのだと思います。必要なところへ必要な分だけ流れている時には、全体として循環して行きます。しかし、一か所だけに過剰に集まり続けると、その分だけ別のところへ流れる量は減ってしまいます。身体でも一部分だけにずっと力を入れ続けていれば疲れてしまうように、エネルギーもまた、一つの対象へ集中させ続ければ、全体としてのバランスを失って行くのだと思います。


反対に、執着していたものをふっと手放した途端に、急に身体が軽くなったり、別のことをしたくなったり、それまで止まっていた他のものごとが動き始めることがあります。それは、手放したから魔法のように何かが変わったというよりも、そこに縛りつけていた大量のエネルギーが解放されて、再び自分の全体へ戻って来たから、という場合もあるのではないかと思います。


それまで一つのところに注ぎ続けていたエネルギーが戻って来れば、当然ながら、そのエネルギーを今度は別のところへ使うことが出来ます。仕事へ使っても良いですし、身体を整えるために使っても良いですし、新しいものを生み出すことへ使っても良いでしょう。何もしないで休むために使っても良いのです。


ですから、執着を手放すということは、単に「その対象を諦める」ということではありません。そこに拘束されていた自分自身のエネルギーを取り戻すことでもあるのだと思います。願いそのものを捨てなくても良いのです。ただ、「絶対にこうならなければならない」「何としてでも自分の思い通りにしなければならない」と注ぎ続けていた過剰なエネルギーを、少し引き戻してあげれば良いのです。


だから、ものごとが上手く行かない時ほど、「もっとエネルギーを注げば何とかなる」と考えるのではなく、一度、自分がそこへどのくらいのエネルギーを使っているのかを感じてみることも大切なのだと思います。そのことを考えるだけで疲れていないか、起きている間ずっと気にしていないか、他のことをするための力までなくなっていないか。もしそうなっているのであれば、一旦そこでエネルギーの流れを止めてみる必要があるのかもしれません。


そのような時は、エネルギーのバランスを取るためにも一旦立ち止まって深呼吸をして、思い通りに行かせようとする姿勢をやめてみましょう。そして、そこから少しずつ執着を手放して行きましょう。自分に出来ることをしたら、その後までずっとエネルギーを送り続けなくても良いのです。


必要な時に、必要なところへ、必要なだけエネルギーを使う。そして、それ以外のエネルギーは、自分の人生の別の部分を動かすために残しておく。そのバランスというものは、とても大切なのではないでしょうか。


執着のエネルギーには得などないのですよ。 END




 
 
 

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