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魂は自分の波動が整うものを知っている

  • 4 日前
  • 読了時間: 30分

更新日:4 日前


前回、書き忘れてしまったことがあります。それをInformationに追記しました。スターライトだけは残して欲しいというご要望が多いので、半年~1年ほど延長しようか検討中ですが、いずれこちらも完全に終了します。リーディングとその他のセッションは今年で終了します。詳しくはInformationをご覧ください。


あと、About のページも全体を書き換えて刷新しました。私らしく仕上がったので満足です。


スターライト・エンライトメントを受けてくださった方々から、その後どうなったかをご報告いただくたびに、私はいつもあることを感じます。


それは、おそらく魂にとってもう必要のないものは自然と離れ、本当に必要なものだけが残るようになっていく、ということです。そして興味深いのは、その変化が、受けた方ご自身が気づけないほど自然に進んでいくことです。


人生が一夜にして変わるような劇的な出来事というよりも、「そういえば、いつの間にか変わっていました」「あとから振り返ると、あの頃から少しずつ始まっていたんですね」というような変化です。そうしたお話を、本当に数え切れないほど伺ってきました。


だから私は、スターライト・エンライトメントとは、何か新しい自分になるためのものではなく、本来の自分へと少しずつ還っていくためのプロセスなのではないかと感じています。


そう言うと、「人生で色々と経験を積んできたのに、それを手放さなければならないのではないか」と怖がる方もいます。けれど、経験や知識がなくなるわけではありません。例えば、コミュニケーションの取り方を洗練させたのであれば、スターライトによってそれが失われてしまうことはありません。


しかし、人付き合いの仕方が魂の本質に合っていない場合は、そのあり方が変わっていくことはあるかもしれません。例えば、嫌われることを恐れて本音を隠したり、一人になる不安から無理に人とつながろうとしたり、相手に認められることで自分の価値を確かめようとしたり、相手を救わなければならないという思い込みで関係を築いたり、本当は距離を置きたい相手とも義務感だけで付き合い続けたりするような関わり方です。


ご存知の方も多いと思いますが、心理学者のユングは、人は人生を通して「個性化」という過程を歩むと考えました。個性化とは、社会や他者の期待に応えるためにつくり上げた人格だけで生きるのではなく、自分の心の奥深くにある「自己(セルフ)」を少しずつ見つけ、本来の自分へと近づいていく過程のことです。


例えば、本当は自分の才能を生かして自由な働き方をしたいと思っているのに、「安定した仕事に就くべき」という周囲の期待に合わせて生きてきた人が、自分の本当の気持ちに気づき、新しい道を歩み始めることも個性化の一つです。また、人に嫌われたくない一心で自分の本音を抑え続けてきた人が、自分の意思を大切にしながら人と関われるようになることも、個性化の過程だといえるでしょう。


ただし、個性化とは、「転職」「結婚」「離婚」「引っ越し」「移住」といったことを指すわけではありません。特にスピリチュアルの世界では、「本来の自分に戻るなら仕事を辞めるべき」「魂に従うなら離婚するべき」といったように、自分の内側ではなく、外側(環境など)の変化で成長を判断する考え方を見かけることがあります。しかし、ユングのいう個性化は、本来そのような意味ではありません。


実際、これまでのセッションでも、「魂に従いたいので、今とはまったく違う仕事へ転職したい」とご相談を受けたことがありました。その方は、ご自身では「魂に従うなら、大きく環境を変えるべきだ」と考えているようでした。


ですが、私には、その方が「観念」からの影響で別の方向を見ているように感じられました。問題は仕事そのものではなく、その仕事との向き合い方や、自分の才能の生かし方にあるように見えたのです。そのため私は、転職はおすすめしませんでした。


もちろん、転職そのものが悪いという意味ではありません。実際に転職することで本来の自分らしく生きられるようになる方もいらっしゃいます。ただ、仕事や住む場所、人間関係などの環境を大きく変えれば、それだけで魂に沿った選択になるとは限らないのです。魂に沿った生き方とは、ただ単に環境を変えるということではなく、自分の本質に沿って選択することなのだと思っています。


大切なのは、自分の本質に気づき、それに沿って生き始める心の変化です。その結果として仕事や人間関係が変わることもあれば、外側は何も変わらなくても、物事の受け止め方や生き方だけが大きく変化することもあります。


ユングがいう「自己(セルフ)」とは、本来の自分らしさの核となる存在です。単なる性格や個性ではなく、意識と無意識を含めた心全体の中心であり、その人を本来のあり方へと導くものだと考えられていました。


私はスターライト・エンライトメントを見続けてきましたが、受けられた方々に起きている変化を見ていると、このユングが語った個性化のプロセスと重なる部分が非常に多いように感じています。


もちろん、スターライト・エンライトメントとユング心理学は同じものではありません。ですが、「人は本来あるべき自分へ戻ろうとする力を持っている」という考え方には、どこか深く共通しているものがあるように思えるのです。


そして、その先に残るものは、その人の魂にとって本当に必要なものなのだと思います。自分にパワーが湧いてくるもの。エネルギーをチャージしてくれるもの。気疲れがすっと抜けるもの。理由は説明できなくても、「これをしている時の私は、とても自然だ」「生き生きとしている」と感じられるもの。魂は、理屈や観念ではなく共鳴によって必要なものを選び始めます。


場所であれば、自分にとってのパワースポットだったりします。その場所へ行くだけで心が落ち着いたり、身体が軽く感じられたり、不思議と考えが整理されたりすることがあります。人によってエネルギーが満ちる場所は異なりますが、私の場合は、大きな製鉄所や石油コンビナートがある工場地帯、ビルが立ち並ぶ都市空間では活力が湧きます。一方で、山村地域ではエネルギーが下がり、どっと疲れてしまいます。


人であれば、人生を大きく変えるご縁があります。その人との出会いによって、それまで止まっていた人生が動き始めたり、新しい価値観や生き方に出会ったりすることもあります。


しかし、その出会いが必ずしも人生を共に歩む相手とは限りません。中には、自分の価値観や人生の課題に気づかせるために現れ、役目を終えたら離れていくご縁もあります。


魂にとって意味のあるご縁だからといって、その関係を続けることが魂の望みとは限りません。出会うことに意味があるご縁もあれば、離れることに意味があるご縁もあります。


私は、どれほど強いご縁を感じたとしても、相手の意思や現実を無視してまで続く関係を、魂の望みだとは考えていません。人とのご縁は一人だけで成り立つものではなく、お互いの自由な意思があって初めて育まれるものだからです。


仕事であれば、本来の自分が果たすべき役割に出会うこともあります。それまで「向いていない」と思っていたことが、実は自分にとって大切な役割だったり、逆にずっと続けてきたことよりも、さらに自分らしく力を発揮できる場所が見つかったりすることもあります。


私は、魂は顕在意識よりもはるかに深いところで、自分に必要なものをすべて知っているのだと思っています。だからこそ、スターライト・エンライトメントを受けたあとに起こる変化は、「何かを新しく与えられる」というよりも、「魂が本来知っていた方向へ、自分自身が自然に戻っていく」という表現の方が近いように感じています。


ユングは晩年、「シンクロニシティ(共時性)」という概念を提唱しました。シンクロニシティについては「意味のある偶然の一致」と訳されることが多い言葉ですが、私はスターライト・エンライトメントを受けられた方々を見ていると、このような共時性が少しずつ増えていく方が少なくないように感じています。


偶然とは思えない出会い。必要なタイミングで入ってくる情報。ふと足を運んだ場所で起こる出来事。諦めようと思った瞬間に現れるご縁。もちろん、これらを偶然と考えることもできます。ですが、魂の視点から見るならば、それは魂が本来進むべき方向へ軌道修正を始めたことで、人生全体の流れそのものが少しずつ変化している、と捉えることもできるのではないでしょうか。


スターライトを受けた後、実際に起こる変化は、人によって本当にさまざまです。ですが、不思議なことに、その変化を一つひとつ見ていくと、まるで魂が少しずつ本来の周波数へ戻っていくような共通点が見えてきます。


例えば突然、園芸に興味を持つようになったり、登山や釣りを始めたり、筋トレなど身体づくりに目覚めたり、スポーツを始めたりする方がいます。また、今までほとんど興味のなかったメイクやスキンケア、ファッションに惹かれるようになる方も少なくありません。


もちろん、誰かに勧められたわけでも、人生を変えようと決意したわけでもありません。「なぜかわからないけれど、急にやってみたくなった。」そのような自然な衝動として始まることがほとんどです。「突然」「衝動」というよりは、もともと自分の中にあったエネルギーが抑えきれずに表へ現れた結果なのかもしれません。


一方で、それまで長年続けてきた趣味に自然と興味がなくなる方もいます。


せっかく湘南に住んでいるからということもあり、周囲に合わせるようにサーフィンを続けていた方がいましたが、スターライトを受けた後は自然とやらなくなりました。元々スポーツがお好きなようですし、サーフィンが嫌いになったわけではないようでした。ただ、自分にとって本当に必要なものではなかったことに気づいたようです。結果として、それまでそこへ使っていた時間やエネルギーを、本当に自分に合ったことへ向けられるようになりました。


このように、何か新しいことが始まる人もいれば、反対に何かを手放す人もいます。私は、このような変化は「何か新しい自分になる」のではなく、本来の自分へ戻っていく過程なのではないかと思っています。


メイクアップに興味が出てきたとご報告くださった方もいて、とても興味深くメールを拝読していました。私は、メイクも一つのアイデンティティの表現だと思っています。


どんな色を選ぶのか。どんな雰囲気を目指すのか。その選択には、その人の個性や感性、価値観、美意識が自然と表れます。その人が「私はこういう人間です」と表現する、一つの自己表現です。もちろん、流行を取り入れることを楽しむ人もいますし、それによって心やエネルギーが整う人もいるでしょう。


これまで流行や周囲に合わせたメイクをしていた人が、自分が本当に惹かれる色や質感を選ぶようになることもあると思います。流行を否定するのではなく、「私はこれが好き」という感覚が自然と表へ現れ始める。その変化は、単なるメイクの変化ではなく、本来の自分らしさを素直に表現できるようになったからかもしれません。


ちなみに私は、流行のメイクも、自分の好きなメイクも一通り楽しみたいタイプです。2026年の流行と言われているカラーメイクやスモーキーアイ、濃いアイメイクを突然やり始めたのは去年でした。当時、周りは韓国メイクが主流でしたが、私は一人だけディオールの美容部員さんのような強めメイクをしていました。ディオールの美容部員さんの大胆な色や強いアイメイクを堂々とまとっている姿を見ると、「メイクはここまで自由な自己表現になれるのだ」と感じます。そして2026年は私のメイクは軽めになり、淡いアイシャドウ、目尻だけを太く跳ね上げたアイラインのみになりました。


服装が変わる方も少なくありません。


スターライトを何回か受けてくれた私の親友にも、とても印象的な変化がありました。それまでの彼女は、上質できれいめのファッションを好み、数々のエルメスのバッグやハイブランドの小物、高額な時計やジュエリーを普段使いするような女性でした(とても華やかな見た目です)


ところが、スターライトを受けた後、ある日突然、無名ブランドのキャンバストートにジーンズ、シンプルなニットという、とてもラフな装いで現れたのです。「実はこういうのが心地良いことに気づいちゃった。」と言ったのを聞いて、私は思わず驚きました。約30年以上一緒にいて、一度も見たことがないスタイルだったからです。もちろん、ブランド品を身につけなくなったわけではありません。その時々の自分が心地よいと感じるものを、自然に選ぶようになっていたようでした。


また、ある男性は、それまで襟付きのシャツにパンツ、ベーシックカラーの靴という、ごく一般的な服装をしていました。街でもよく見かける黒縁のウェリントン型メガネをかけ、周囲に自然と溶け込むような印象の方でした。


ところがスターライトを受けた後、気づけば強めのパーマをかけたロングヘアになり、個性的なダブルブリッジのティアドロップ型メガネを選ぶようになっていました。


思わず「イメチェンですか?」とお聞きすると、「急に今まで選ばなかったような服を選ぶようになって、気づいたら髪もメガネもこうなっていました。」と笑いながら話してくださいました。


この話には、私も深く共感しました。私自身も、ある時を境に、それまで着ていた服へ強い違和感を覚えるようになったことがあります。「私は、どうしてこんな服を選んでいたのだろう。」そう思うほどでした。


でも、本当は心のどこかで自覚していました。自分が本当に好きな服を選ぶと、少し個性的なものになりがちなことを知っていたのです。だからこそ、あえて一般的に受け入れられやすい服を選んでいました。今振り返ると、自分に嘘をついていたような、少しやらかしてしまったような気持ちにもなります。


「スカートなんて履きたくない。私はジーンズがいい。」そんな言葉が、ずっと心の奥で響き続けていました。本来の私は、もともとメンズライクなファッションが好きだったのです。今はそこへフェミニンなアイテムを少し組み合わせるスタイルが、一番自分らしいと感じています。


服装には、その人の内面や価値観、美意識が驚くほど表れます。私は、服装もまたアイデンティティを表現する手段の一つであり、エネルギーの流れとも深く関係しているように感じています。


だからこそ、スターライトを受けた後に服装が変わるというのは、単なるイメージチェンジではなく、本来の自分に合った感覚や美意識、心地よさを素直に選べるようになった結果なのかもしれません。


こうした変化は、服装だけに限りません。私は長年、多くの方の変化を見てきましたが、本来の自分へ戻っていく過程では、子どもの頃に夢中になっていたものや、理由もなく惹かれていたものへ、もう一度自然と興味が向かう方が少なくありません。


私たちは大人になるにつれ、「こうあるべき」「これが普通」「みんなが選んでいるから」という価値観を少しずつ身につけ、本当に好きだったものが何なのか、わからなくなってしまうことがあります。だから私は、子どもの頃に何へ夢中になっていたのかを振り返ることには、大きな意味があると思っています。


私の例になりますが、車はチャイルドシートに座っている頃から好きでした。その頃は助手席にチャイルドシートを設置していた時代で、父が運転する横で私がその真似をするので、ハンドル付きのシートに換えてくれたのをハッキリと覚えています。


祖父が私をおもちゃ売り場の人形やぬいぐるみが置いてあるコーナーへ連れて行き「お人形さん買ってあげようか」と言うと、私は必ず「要らない」と言い、ミニカーのディスプレイに張り付いて離れなかったのだそうです。しかも欲しがったのはスポーツカーばかり。昭和は女の子は女の子らしく、男の子は男の子らしくという概念が一般的でしたので、祖父母や母は少し困惑していたようです。


父は大学で自動車研究会(1931年から今も続く伝統のクラブです)に所属していたほどの車好きでしたので、私の様子を見て喜んでいたようです。父は大学時代、後にF1ジャーナリストの先駆者となる今宮純さんと親友で、今宮さんはよく私の家に夕食を食べに来ていました。その時に、今宮さんからデカールがたくさん貼られたレーシングカーや、ポルシェのミニカーをお土産にもらったのです。私はポルシェのミニカーをかなり気に入り「大人なったらこの車を運転するんだ」と頻繁に言っていたそうです。


今はその夢が叶ったわけですが、物心ついた頃、私は母やその友人たちが、車の運転についてネガティブなことばかり話しているのを聞いて育ちました。それはおそらく母の妹、つまり私の叔母がホンダの750ccのバイク(ナナハン)を乗り回していたからだと思います。


女性がバイクに乗るのは今は普通ですが、当時としてはかなり先鋭的です。 1970年頃の社会では、女性はまだ「おとなしく、家庭的に」という規範が強い時代です。その中で750cc級の重いバイクを扱う女性はかなり独立的で、周囲からは「かっこいい女性」と見られていたかもしれませんが、当時はそれ以上に「型から外れた女性」「只者じゃない」「不良っぽい」「自由すぎる」という見方の方が強かったと思います。そういう背景があったから、お嬢様育ちの母は女性が運転することに関してネガティブなイメージがあったのかもしれません。


また、バイクに限らず、当時は、スポーツカーは男性の乗り物というイメージが強く、母も「女性が乗るには危ない、似合わない」と考えていたようです。そのため、「危ないから乗らないほうがいい」と繰り返し言われて育ちました。そのため、その思い込みがなかなか抜けず、車は買ってもスポーツカーを買うことをためらっていました。


ですが、スターライト・エンライトメントを開発中、繰り返しそれを自分に試しているうちに、スポーツカーに乗ることについて我慢できなくなり、約10年ほど前についに乗り換え、数年前にポルシェに乗り換えました。今宮さんに「ついに乗りました」と報告したかったのですが、その頃には既に他界されていた事もあり、それは叶いませんでした。父もとっくの昔に他界していましたからね。


当時はただ嬉しかっただけでしたが、F1の世界に深く関わる今宮さんからポルシェのミニカーをいただいたことは、今になって思えば、私のスポーツカーへの憧れを象徴する出来事だったのかもしれません。


私はF1そのものに興味があったわけではありませんが、その後も不思議なことに、F1関係者やモータースポーツに関わる方々と出会う機会が何度もありました。あるジャーナリストの方は、「好きに乗っていいから」とスポーツカーの鍵を渡そうとしてくださったことまでありました。


今になって振り返ると、長年ためらい続けていた私の背中を押すような出来事が、人生の中で何度も起きていました。これは、ユングがいう「シンクロニシティ」なのでは?と思いました。


ところで、とある女性から「車を運転していて癒されるんですか?」と懐疑的に聞かれたことがありました。ですが、私の場合は、癒されるというよりもエネルギーが満ちてくる感覚のほうが近いのです。青森県や広島県まで運転しても疲れることはなく、200km程度であれば、帰宅後に家の大掛かりな掃除ができるほど、まだ活力が湧いてきます。


自分が本当に乗りたかったタイプのスポーツカーへ乗り換えてからは、さらに本来の自分らしさが表へ現れてきたように感じています。人によっては、それが園芸かもしれませんし、釣りや服装、メイクかもしれません。大切なのは何を選ぶかではなく、その人が本当に自分らしくいられるものを選ぶことなのだと思います。


一見すると、車の運転もメイクも、ごく日常的に行っているものに見えるかもしれません。ですが、世間から見れば「ただの趣味」や「ありふれた日常」であっても、その人にとっては、本来の自分へ戻るために欠かせない大切なエネルギー循環になっていることがあります。それをすることで心が整い、活力が湧き、自分を取り戻す方向へ向かうのです。


私は、子どもの頃に夢中になっていたものや、理由もなく惹かれていたものには、その人の本質が表れやすいのではないかと思っています。もちろん、子どもの頃に好きだったものを、そのまま大人になって続けなければならないという意味ではありません。しかし、大人になるにつれて、私たちは「こうあるべき」「これが普通」「周りに合わせたほうがいい」という価値観を少しずつ身につけ、本当に好きだったものが見えなくなってしまうことがあります。


ユングは「子どもの頃に戻ること」を勧めたわけではありません。社会的な役割やペルソナを超え、自分の中心にある「自己(セルフ)」へ近づいていくことを個性化と考えました。その意味では、子どもの頃に純粋な気持ちで惹かれていたものを思い出すことは、「子ども返り」ではなく、本来の自分と再会するための一つのきっかけになるのかもしれません。


そして、その「本来の自分」に関わるものごとは、必ずしも特別な能力や使命に繋がるものとして現れるわけではありません。むしろ、日々の暮らしの中にある、ごく当たり前の「好き」や「心地よい」という感覚として表れることのほうが多いように感じています。


また、今まで好きだったものにあまり興味が持てなくなり、逆に以前は全く意識していなかったものへ強く惹かれるようになることもあります。それは趣味だけではありません。音楽、映画、本、香り、食べ物、家具、部屋の色、アクセサリー、過ごしたい場所まで、あらゆる「好き」が少しずつ変化していくことがあります。


特に、自分の身に着けるものや、毎日触れるものには、その変化が表れやすいように感じています。以前は大好きだった服を着てみても、どこか落ち着かなかったり、「これはもう今の私ではない」という違和感を覚えるようになる方もいますし、以前の自分なら絶対に選ばなかった服を選ぶようになったり、着ているだけで気持ちが落ち着いたり、「これが今の私なんだ」と感じるようになったりします。


私は、このような変化は単に流行や年齢によるものだけではないように感じています。魂のエネルギーが変化すると、それまで共鳴していたものとは異なるものに、自然と惹かれるようになるのではないでしょうか。


私たちは、自分で「選んでいる」と思っています。けれど実際には、魂の波長に共鳴したものを、ごく自然に選び始めているのかもしれません。


ユングは、人の無意識は「象徴」によって語りかけてくると考えました。夢だけではありません。日常で繰り返し目にするものや、なぜか気になってしまう色や形、ある特定の場所への強い憧れも、深い無意識からのメッセージである可能性を示唆しています。


もしそうだとすれば、スターライト・エンライトメントを受けたあとに好みが変化することも、魂が「こちらですよ」と静かに方向を示しているサインなのかもしれません。だから私は、「どうして急にこんなことを始めたくなったのだろう」と不思議に思うような変化ほど、大切にしてほしいと思っています。


魂は、大きな声では語りません。ほんの小さな違和感や、小さなときめき、「なんとなく気になる」という感覚を通して、私たちを少しずつ本来の道へ導いていきます。気づけば自然と、その方向へ歩いていたという感じです。


仕事においても、同じようなことが起こります。


仕事への向き合い方が変わったり、自分の役割を再発見したりする方がとても多くいらっしゃいます。リーダーシップを発揮することが得意だったと気づく方。企画を考えることに喜びを感じる方。細かな事務作業を丁寧に積み重ねることが自分の才能だったと知る方。人を支え、育てることが自分の役割だったと気づく方。今まで当たり前にやってきたことが、実は自分だけの才能だったと初めて知る方も少なくありません。


そして、「私は本当は何がしたいのだろう」「私はどのような形で社会と関わりたいのだろう」という問いに対する答えが、以前よりもはっきり見えてくるようになります。仕事における自分の価値がわかってきた、というご報告も本当にたくさんいただいています。私はこれも、魂が本来の役割を思い出し始めた結果なのではないかと感じています。


ユングは、人は人生の前半では「社会に適応するための人格」を育て、人生の後半では、その奥にある「本来の自分」を生き始めると考えました。もちろん、その前半と後半の境目は年齢だけで決まるものではありません。ある出来事をきっかけに始まる人もいれば、人生の転機や、大きな喪失、あるいは深い癒しを経験したことによって始まる人もいます。スターライトを受けられた方々を見ていると、その「本来の自己を生きる」というプロセスが、それぞれの魂にとって最も良いタイミングで始まっているように感じるのです。


しかし、このような変化は、趣味や仕事だけに現れるわけではありません。もっとも多くご報告をいただいたのは、人間関係の変化です。それも、ただ友人が増えたり減ったりするというような表面的な変化ではありません。その人自身の魂の在り方が変わることで、人との関係性そのものが少しずつ変化していくように感じています。


自分の価値に気づくという変化は、仕事だけではありません。恋愛や結婚、家族、友人関係、職場、コミュニティなど、人との関わりの中で初めて、「私はこんなにも自分を後回しにしていたんだ」「私は本当はこんな生き方を望んでいたんだ」と気づかれる方も少なくありません。


このワークを受けられた方すべてに、人生のすべての分野で同時に変化が起こるわけではありません。その人の魂が、今もっとも取り組む必要があるテーマから動き始めるように私は感じています。


固く閉じていた部分(つまりブロック)は少しずつ緩み、解放へ向かいます。すでに解放されている部分はさらに深くから解放され、広がり、その人の魂にとってもっとも自然なエネルギーの流れへとチューニングされていきます。


私は、それぞれの魂には、その時その時に成長する順番があるのではないかと思っています。だから同じスターライトを受けても、恋愛が大きく動く方もいれば、仕事が動く方もいます。健康がテーマになる方もいれば、お金との向き合い方が変わる方もいます。どこから始まるかは違っていても、向かう先は共通しています。それは、「本来の自分へ戻っていくこと」です。


恋愛では、自分の価値に気づくための出来事が起こることが本当に多くあります。付き合っていた人との間に摩擦が起きる。依存的な関係だったことに気づく。いつも自分ばかりが我慢していたことに気づく。実は好きではなかったことに気づく。手をパッと離したかのように、急に相手への興味が消える。そして「この恋愛は、本当に私を幸せにしているのだろうか」という問いが、自然と心の中に湧いてくることもあるでしょう。


また、相手が仕事や家庭の関係で遠くへ行ってしまうこともあります。好きだった人が誰かと結婚し、「もうその人は自分の人生には戻ってこない」という現実を受け入れなければならない方もいらっしゃいます。あるいは、新しく出会った人との関係の中で傷つく経験をする方もいます。


その時は、どうしてこんなことが起きるのだろうと思うでしょう。スターライト・エンライトメントを受けたのに、なぜこんな辛い出来事が起こるのか、と疑問に思われる方もいらっしゃるかもしれません。でも、私はそれらを単なるネガティブな出来事だとは思っていません。むしろ、その出来事が起きたからこそ、自分自身を深く知ることになる場合がとても多いのです。


その人と出会ったからこそ、私は本当はどんな人なのか。私は毎日どんなことを考えながら生きていたいのか。私は何を大切にしたいのか。私は本当はどんな人と人生を歩みたいのか。その答えが、少しずつ見えてきます。


魂は、自分ではまだ気づいていない課題を映し出してくれる相手を、不思議なほど自然に自分のもとへ連れてくる(というか送り込んでくる)ことがあります。だから、嫌な人との出会いにも意味があるのです。傷つくためではありません。自分自身を知るためです。


魂は、ときに葛藤を通して学びます。どちらも、その人を本来の自分へ近づけるために起きている出来事なのかもしれません。もちろん、このような出来事は恋愛だけではありません。友人関係や職場、所属しているコミュニティなど、あらゆる人間関係にも現れてきます。


例えば、本当はもう解放の時期を迎え、次の段階へ進む準備が整っているにもかかわらず、無意識のうちに昔と同じ行動や言葉、態度を繰り返してしまうことがあります。


昔は心地良かった関係なのに、今はなぜか疲れてしまう。以前は何とも思わなかった言葉に傷ついてしまう。以前は合わせられたのに、どうしても合わせられない。そのようなことが起こり始めます。


そして、ある日ふと気づくのです。「私は、どうして今もこの人と、この付き合い方を続けているのだろう」「どうして私は、自分の気持ちより相手を優先しているのだろう」「あの人の私への態度が、どうしてこんなにも苦しく感じるのだろう」と。


私は、この違和感こそが、魂からのとても大切なメッセージなのだと思っています。


魂は、ある日突然大きくガラッと人生を変えるのではありません。最初は違和感として現れます。居心地の悪さとして現れます。説明のできない疲労感として現れます。そして、その違和感を無視し続けることもできます。


ですが、魂は何度でも同じテーマを目の前へ運んできます。形を変え、人を変え、場所を変えながら、「まだここに気づいていませんよ」と静かに知らせ続けるのです。これは本当に不思議だと思います。


だから私は、何度も同じような人間関係で苦しんでいる時ほど、「なんでこの人はこうなんだろう」と相手を批判するのではなく、「私の魂は、この出来事を通して何を学ぼうとしているのだろう」と、自分の内側へ問いかけてみることをおすすめしています。その問いを持ち始めた瞬間から、魂の学びは次の段階へ進み始めるのです。


このような変化は、決して「良いことばかりが起きる」という意味ではありません。むしろ、魂が本来の自分へ戻ろうとする時ほど、それまで見ないようにしてきたものが浮かび上がってくることがあります。悲しみ、怒り、喪失感、孤独、不安、あるいは、自分でも気づいていなかった執着や恐れ、自己否定。スターライトを受けられた方々を見ていると、それらは新しく生まれたものではなく、もともとそこにあったものが見えるようになっただけなのだと感じます。


よくスピリチュアルな世界で「魂の光が強くなる」という言葉を見かけますが、それは、本来の自分へ近づいていくことだと思っています。そして、本来の自分へ近づくほど、それまで心の奥に残っていたものも自然と見えるようになります。


だから私は、このプロセスの中で、悲しみや怒り、喪失感、孤独、不安、執着や恐れ、自己否定が表面化することを悪いことだとは思っていません。むしろ、本当に変化が始まったサインなのだと思っています。


ユングは、人は自分の「影(シャドウ)」と向き合わなければ、本当の意味で自己へ近づくことはできないと考えました。


影とは、悪い性格という意味ではありません。傷つきたくなかった自分。認めてもらえなかった自分。怒ることを我慢してきた自分。愛されたかった自分。強くなければ生きていけないと思ってきた自分。そのような、自分でも見ようとしてこなかった心の一部です。


スターライトを受けられた方々を見ていると、この「影」が少しずつ浮かび上がる方もいます。(ですが、何故かそうならない人もいます。)そして、その影と向き合った方ほど、その後の変化が大きいように私は感じています。


もちろん、それは決して楽な過程ではありません。できれば見たくないこともあります。認めたくない自分に出会うこともあります。ですが、その先には不思議なほどの軽さがあります。まるで長い間背負っていた重い荷物を、一つずつ降ろしていくように。


私は、これを「オーラが変わる(純化する)」と表現してきました。オーラが純化するということは、何か特別な色に変わることでも、特殊な能力が身につくことでもありません。その人ではないものが一枚ずつ剥がれ落ち、魂が本来の輝きを取り戻し、その人だけの光が自然と外へ現れてくること。そのような状態なのではないかと思っています。


気づきが深まるほど、人は少しずつ楽になります。これは、無理をして自分ではない誰かになろうとしなくなるからです。人と比較しなくなります。競争しなくなります。必要以上に認められようとしなくなります。


だから私は、このセッションは人生を変えるためのものではなく、本来の自分を思い出すためのものだと思っています。「自分は足りていない」と思って、その足らないと思しき何かを足して別の誰かになるためではありません。すでに魂の中に存在していたものを思い出し、その人だけが持つ本来の輝きを、もう一度この世界で生き始めるためのプロセスなのです。(試験的に観察したところ)結果として、人生が変わる方向へ進む傾向が強いように感じています。


不要なものが離れていくことを恐れる必要はありません。違和感が生まれることを恐れる必要もありません。魂は、何かを失わせようとしているのではなく、本当に必要なものだけを残そうとしているのです。


その流れに身を委ね、自分の内側から聞こえてくる声に耳を澄ませてみてください。その声こそが、あなたという存在を、本来歩むべき人生へ導いてくれる魂からのメッセージなのだと、私は思っています。


スターライトの経過を見続ける中で、私が一つ強く感じるようになったことがあります。それは、人は本来の自分へ近づこうとするほど、それまで自分にとって「自然だ」「当然だ」と思っていた生き方に違和感を覚え始める、ということです。


以前は心地よかった人間関係が窮屈に感じられる。何も変わっていないはずなのに、毎日の生活に満たされなさを覚える。仕事への向き合い方が変わる。今まで当然だと思っていた価値観に疑問を持ち始める。そのような変化は決して珍しいものではありません。私は、それを人生が間違った方向へ進んでいるサインだとは考えていません。むしろ、自分の内側で何かが動き始めた時に現れやすい、ごく自然な変化なのではないかと思っています。


人は安心できる場所に留まりたいと思うものです。慣れ親しんだ人間関係。いつもの仕事。いつもの生活。長年身につけてきた考え方。それらは私たちに安心感を与えてくれます。しかし一方で、人は同じ場所に留まり続けるだけでは、本来持っている可能性を十分に発揮できないこともあります。


変化とは、何かを壊すことではありません。今まで積み重ねてきた経験や知識が失われることでもありません。ただ、自分にとって本当に必要なものと、もう役目を終えたものとが少しずつ整理されていく、そのような過程なのではないかと私は考えています。


もちろん、その瞬間だけを見ると喪失のように感じられることもあります。長年続いた人間関係が終わることもあります。仕事や環境が変わることもあります。ですが、時間を置いて振り返った時、「あの出来事があったから今の私がある」と話される方は少なくありません。


人生には、一見すると失敗にしか思えない出来事があります。別れ。挫折。病気。孤独。思い通りにならない現実。私は、苦しめば苦しむほど人は成長する、とは思っていません。そうではなく、その出来事を通して、自分が何に気づき、これから何を選び直すのか。その積み重ねが、その人自身を少しずつ変えていくのではないでしょうか。


長年この仕事を続けてきて感じるのは、人は自分で選び直す力を取り戻した時に、本当の意味で変わり始めるということです。以前なら我慢していたことを我慢しなくなる。以前なら自分を責めていた場面で、自分を守る選択ができるようになる。以前なら恐れて踏み出せなかった方向へ、自分の意思で歩き始める。ひとつひとつが「小さな変化」です。しかし、その積み重ねによって人生全体の方向が変わっていくと思っています。


スターライト・エンライトメントとは、その人の人生を代わりに変えるものだとは考えていません。幸運を与えるものでもありませんし、周囲の人を自分の望むように変えるものでもありません。そうではなく、その人が本来持っている力を思い出し、自分自身の意思で人生を選び始める、その過程を後押しするものなのだと私は考えています。


ここまで読んでくださった方の中には、「スターライト・エンライトメントを受けると人生が劇的に変わるのですね」と思われた方もいらっしゃるかもしれません。実際に、大きな変化を経験された方もいらっしゃいます。ですが、本質はそこではありません。本当に変化しているのは、その人の内側です。そして、内側の変化が現実へ反映されていく。それが一般的なヒーリングに比べて早いように感じるのです。その理由はまだわかりませんが、私は魂と自我の折り合いだけではなく、神経系にも何らかの変化が起きているのではないか、と考えています。


もちろん、これはまだ私の中での仮説にすぎません。ですが17年間、さまざまな手法と角度から多くの方の変化を見続けてきた今、スターライト・エンライトメントは、その人の内側に眠っていた感覚や力が動き始めるきっかけなのではないかと感じています。


大切なのは、人生を無理に変えようとすることではありません。自分の中に生まれた違和感や、小さなときめき、なぜか惹かれるものに気づき、それを丁寧に選び直していくことなのだと思います。


その積み重ねによって、人は少しずつ、自分自身の人生を歩き始めるのではないでしょうか。

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