故人、そこにいるんです。

全国的なお盆は8月13日からですが、東京では7月13日から16日がお盆にあたります。一般的には「新盆(7月盆)」と呼ばれますよね。東京は日本各地から人が集まる街なので、ご存じない方もいらっしゃるかもしれませんが、生まれ育ちが東京の方ならきっとご存じだと思います。
私の両親はしきたりにうるさい人たちだったので、年中行事はすべてきちんと行う家庭でした。もちろん、お盆も例外ではありません。
胡瓜や茄子で作った精霊馬を玄関に飾ってご先祖様をお迎えし、お盆が終わるとまたお見送りする。それを毎年まじめに続けていました笑。同じようなことをされていた方はいらっしゃいますか?ところが、精霊馬は関西地方では飾らない地域もあるという話を後になって知りました。
私は幼い頃、毎年夏休みに入ると8月末まで京都や大阪の親戚の家で過ごしていましたが、そういえば親戚の家では、あの胡瓜や茄子で作った馬や牛を玄関に飾っているのを見た記憶がありません。
ところで、我が家は浄土真宗だったにもかかわらず、お盆を行っていました笑。浄土真宗では、人は亡くなるとすぐに成仏すると考えるため、お盆に故人の霊が精霊馬に乗って帰って来るという考え方はありません。そのため、一般的にはお盆の行事を行わないそうです。
それでも父も母も、意外と家庭的…というか行事好きだったのでしょう。季節の花や旬の食べ物を大切にし、菖蒲湯や柚子湯などの季節行事、大きな雛壇や鎧兜(しまうのが本当に大変!)、お正月のお屠蘇をいただく順番や祝い箸の使い方まで、とても厳格に守る家でした。
そんな両親ですから、浄土真宗では行わないと言われても、お盆に精霊馬を作って故人を迎えたいと思うのは、ごく自然なことだったのでしょう笑。そのため、夏休みに入る前には東京で精霊馬を作って故人を迎え、その後、京都で五山の送り火を見ながら、もう一度お盆を迎えるという…。私たちきょうだいは、毎年二度のお盆を過ごしていました。
父方の祖父が大好きだった私は、お盆になると祖父が帰って来ることが嬉しくて嬉しくて、毎年率先して精霊馬を作っていました。小学1年生の時、祖父が亡くなって初めて迎えたお盆で、母が「ほら、おじいちゃんが帰って来たわよ」と言うものですから、「どこ?どこにいるの?見えないよ!」と一生懸命探していました。
そして、この頃から少しずつ、この世にいない人の姿が見えるようになっていったのです。
今思えば、祖父に会いたい一心で、その存在を探し続けたことが、ひとつのきっかけだったのかもしれません。
もちろん、これまでさまざまな占いでも、「霊界の扉を開けっぱなしで日常生活を送っている」と何度も言われてきましたから、もともとそういう性質はあったのでしょうけどね。 京都や大阪でお盆を過ごしていた時、私は母に「東京のおじいちゃんは、こっち(大阪)にもまた来るの?」と聞いたことがありました。すると母は、「東京のおじいちゃんは7月に来て、一緒に見送ったでしょ?だから、こっちにはもう来ないの。」というように答えました。子ども心に、それがとても不思議だったことを覚えています。
関東と関西、あるいは地域によってお盆の時期が違うのに、故人はそれぞれのお盆の時期に家族のもとへ帰って来るというのが不思議だったのです。「死んでも、自分がいた地域のお盆の日を覚えているのかな?」そんなことを真剣に考えていました。
霊が見えるようになってから、特に小学生の頃は、お盆の時期になると、本当に故人が家へ帰って来ている姿を何度も見かけました。
そういえば先月も、7月のお盆の早朝に、夫の実家で、おばあちゃんのお部屋だった場所に、故人であるおばあちゃんが立っているのを見かけました。お義母さんは、お母様にとても会いたがっていたので、そのことをお伝えすると、本当に来てくれたことをとても喜んでいました。
故人が私たちのいる空間へ降りて来るのは、生きている私たちがお盆という行事を通して、故人を強く意識するからではないかと私は思っています。基本的に、亡き人の話や霊の話をすると、その場には霊が集まって来ます。ただ、その場合は知らない霊が集まって来ることの方がほとんどです。家族だった故人の話をしたからといって、必ずその故人が来るとは限りません。
ですが、これまでの経験からすると、故人がこちらを気に掛けていたり、何か伝えたいことがあったりする時には、そばへ来てくれるように感じています。
また、お盆だからといって、家族だった故人全員が帰って来るわけでもありません。お盆の行事を行っても、誰も帰って来ない時もあります。ある時のお盆には、家族ではない、まったく知らない霊が来たこともありました。その時、私が京都の叔母にそのことを話すと、叔母は何も見えていない場所へ向かって、「どちらはん? 帰りなはれ、はよ帰りなはれ!」
と言いながら、手で左右に払うような仕草をしていました……笑。
霊のいる世界は、私たちが生きている次元のすぐ近くにあります。「ある」というより、周波数が近いと言った方が分かりやすいかもしれません。そして、そこは情念の世界でもあります。彼らの世界は、私たちの世界より少しだけ周波数が高く、その情念を通して、私たちと簡単に交流できることがあります。
また、彼らからは私たちの思いが透けて見えているようなので、私たちが故人や霊のことを思うと、すぐに降りて来ます。怖い霊の話をしている時にも来ます。「なんだい?私のことを呼んだ?」そんな感じなのでしょうね。 滅多にあることではありませんが、呼んでもいないのに、家族だった故人が姿を現すこともあります。私が20代前半だった頃のことです。母が亡くなる直前、母が横たわる傍らには、母の妹である亡き叔母が立っていました。
もうすぐ自分がこの世を去ることを分かっていた母は、いつも泣いていました。そんな母をあやすように、フックに掛けてあったオルゴールが、誰も触れていないのに突然鳴るのです。そのオルゴールは、日を空けて三度ほど鳴りました。デジタル式ではなく、紐を引っ張らなければ鳴らない仕組みだったので、目の前で見ていた妹は、とても怖がっていました。
そのオルゴールは、生前、叔母が母へ贈ってくれたものでした。
私は母の傍に立つ叔母を何度も見かけていたので、「きっと叔母が鳴らしたのだろう」と思いました。母を慰めたかったのでしょうか。叔母は、この世を離れた後もずっと、姉である母のことを想い、案じ続けていたのかもしれません。
亡くなった直後の母は、肉眼では見えない姿で――私には見えていましたが――しばらく私の部屋に立っていました。お葬式では、祭壇にお供えしてあった林檎がいくつも落ちたり(祭壇の形状を考えると、普通は落ちるはずがないのです!)、天井の照明が何度も激しくチカチカしたりしました。
興味深かったのは、母が生前とても苦手にしていた人が焼香に訪れた時に、そのような現象が始まったことです。もしかしたら、祭壇の林檎をその人に投げつけたかったのかもしれません。でも、肉体がないため、あの重さのある林檎を投げるところまではできなかったのでしょうか。
お通夜の夜も、夜中の2時頃になると棺からガタガタと音がしたり、蝋燭の火が消えたりして、その場にいた親族を驚かせていました。さすがに棺から音がした時は、私でも怖かったですよ。「生き返ったの!?」と、本気でびっくりしました(笑)。
蝋燭の火は、故人が迷わずあの世へ行けるようにする「道しるべ」とも言われています。でも母は、「まだ私はあの世なんか行かないわよ。だから道しるべなんて要らないわ!」とでも言いたかったのでしょうか。姿は見えなくなっても、母は相変わらず暴れまわっているように見えました。肉体はなくても、確かにそこにいて、意思を持って行動しているように感じたのです。
こちらは30歳手前の頃の話です。ある朝6時頃、目を覚ますと、部屋の隅に父方の祖父と祖母が立っていました。「えっ、何でおじいちゃんたちがここにいるの?」そう思った瞬間、「パパとお別れだよ。」という言葉が入ってきたのです。
祖父母の存在を感じるのは久しぶりだったので、もう少しその場にいたかったのですが、その直後に病院から電話が入り、父が息を引き取ったとの連絡を受けました。私は急いで支度をして病院へ向かいました。
父は母の時のように家へ留まることはなく、亡くなってすぐに気配も感じなくなりました。ところが、それから10年ほど経って、時折、私の前に姿を現すようになったのです。父は何度か私のところへやって来て、霊界の端のような場所を見せてくれました。そのお話は、また機会があれば書こうと思います。
ただ、人が亡くなる時には、その人と縁の深かった故人が、こちらが呼んでいなくても迎えに来ることは少なくありません。死してなお、生前大切に想っていた人を迎えに来る。
そう思うと、とても感慨深いものがあります。
最後は少し余談になってしまいましたが、8月も半ばに近づき、首都圏以外の地域では、もうすぐお盆を迎えますね。故人を偲ぶ時、その方は、実はあなたのすぐ傍に来ているかもしれません。たとえ目には見えなくても、そこにいるのです。
知らない霊が来るのは困りますが笑、大切だった故人と、ほんのひとときでも心を通わせることができる時間というのは、本当に心に沁みるものです。
どうぞ、良きお盆の時間をお過ごしくださいませ。 END



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