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未来の相手を探しながら、過去を見ていませんか

2023年11月29日
読了時間: 7分

更新日:8月10日


ソウルメイトとのご縁に気づけない時、気づかぬうちに閉じている。


ソウルメイトとのご縁に気づけない時、気づかぬうちに閉じている。

この何年か、恋愛や結婚、生涯を共にするパートナーとなかなか出会うことが出来ないということで、セッションにお見えになる方々が非常に多いです。そのような方々は口を揃えて「私には恋愛運(または結婚のご縁)が無いのでしょうか?」「今回の人生ではパートナーに出会えずに、このまま終わってしまうのでしょうか?」などと言いますが、私は必ずしもそういうことではないと思っています。


それは、運や縁が無いのではなく、ただ単に「閉じているだけ」ということが、とても多いのです。これをもう少し具体的に言えば、心の一部分を閉ざしているということになりますが、こう言ってしまうと「私って、そんなに心を閉ざしているかなぁ?周りの人々とも上手に交流出来るし、人間関係も問題ないし……。」と思う人も出て来るかもしれませんね。でも、人付き合いが上手であることと、本当の意味で心が開いていることは、必ずしも同じではありません。仕事では誰とでも話せる、友人もいる、人当たりも良い。それでも恋愛となると、傷つくことを恐れて、無意識に一番深い部分だけを閉じているということはあるのです。



本当の意味で「開く」

恋愛や結婚、生涯のパートナー、これらのすべてをひっくるめた言葉でいえば、「ソウルメイト」という言葉を使うのが妥当な気がします。ここでいうソウルメイトとは、必ずしも「この世にたった一人だけ存在する運命の人」という意味ではなく、魂のレベルで深いご縁を持ち、人生の中で大きく関わっていく相手、という意味です。このようなソウルメイトとの出会いを求めるのであれば、ある程度以上は心を開いておく必要があります。


心を開くというのは、社交辞令で人間関係を上手くやり過ごすということとは全く異なります。人間関係を円滑に行おうとして、とりあえず表の顔ではにこやかに繕っておいて、裏で本音を吐き出すというようなやり方とも異なります。


もちろん、社会生活の中では本音をすべて表に出す必要などありませんし、誰に対しても無防備になる必要もありません。ここで言っている「開く」というのは、何でも人に話すことでも、誰でも信用することでもなく、自分が本当は何を感じ、何を望んでいるのかを、自分自身がきちんと分かっている状態のことです。


自分の本音を自分で否定していたり、本当は欲しいものがあるのに「そんなものは必要ない」と思い込もうとしていたりすると、外から見れば普通に人と関わっているようでも、内側ではかなり閉じていることがあります。心を開くというのは、まず他人に対してではなく、自分自身に対して開くことなのかもしれません。



消去法の思考が出る時

ところで、ある程度以上は心を開いておかなければ……というのには理由があります。誰にでもソウルメイトとの出会いはあるものだと私は思っていますが、心を閉じたままでいると、そのご縁に気づきにくくなることがあります。そして、これはいつでも私がリーディングのセッションなどで申し上げていることでもあるのですが、既にソウルメイトと出会っていて、その人がかなり近くにいるにもかかわらず、その人と繋がることが出来ないまま何年もの時間が過ぎてしまっていることもあります。


心を閉ざしている状態というのは、トラウマなどから来る恐れや怒りで凝り固まっているような状態でもあります。それだけではなく、「もう傷つきたくない」「失敗したくない」「間違った相手を選びたくない」「損をしたくない」という防御の意識が強くなっていることもあります。


防御そのものが悪いわけではありません。傷ついた経験があれば、もう同じ思いをしたくないと考えるのは当然です。ただ、その防御が強くなり過ぎると、「自分が本当に望んでいるもの」よりも、「自分を傷つけなさそうなもの」を優先して選ぶようになることがあります。


このような状態の人に「どのような人と出会いたいと思いますか?」と聞くと、大抵の場合は消去法でその答えを挙げ連ねようとします。それは例えば、「△△な感じだと嫌だから、◆◇な人がいい」「前の彼みたいな人は嫌だから、○○なタイプがいい」というような感じです。


一見すると、自分の希望を話しているように見えます。でも、よく見てみると、それは「自分はどんな人と生きていきたいのか」という未来から出て来た答えではなく、「もう二度とあんな思いはしたくない」という過去から出て来た答えだったりするのです。


未来のパートナーを探しているのに、意識はずっと過去を見ている。


私は、この状態はとても大きな違いを生むと思っています。「この人とならどんな時間を過ごしたいだろう」「どんな関係を築きたいだろう」と考えるのと、「この人なら以前のようなことは起こらなそう」と考えるのでは、同じように相手を選んでいるように見えても、意識の向いている方向がまったく違うからです。


もちろん、嫌なものを避けること自体が悪いわけではありません。過去の経験から学ぶことも大切です。でも、「嫌なものを避ける」という条件ばかりで相手を見ていると、自分が本当は何を望んでいるのかが、段々と分からなくなってしまうことがあります。


そして、強い恐れや過去の経験から出来上がった観念が相手を見る基準になっていると、本当は自分と深く繋がる可能性がある相手を、まだよく知る前の段階で「違う」と判断してしまうこともあります。


ソウルメイトとは、繋がるチャンスを一度逃したとしても、また再びチャンスがやって来ることもあるように私は感じています。ただ、いつでもすぐに同じ形で戻って来るとは限らず、再びご縁が動くまでに何年もの時間が掛かることもあります。


そして面白いのは、その時間の中で本人の意識が変わり、以前なら「この人は違う」と切り捨てていたような相手を、まったく違う目で見るようになることもあるということです。

相手が別人のように変わったのではなく、自分の中にあった恐れや観念が薄くなったことで、それまで見えていなかった相手の一面が見えるようになったのかもしれません。


人は相手をそのまま見ているつもりでも、実際には自分自身の経験や観念というフィルターを通して相手を見ています。そのフィルターが強ければ強いほど、「目の前にいる人」よりも、「過去に自分が経験した誰か」を重ねて見てしまうことがあります。


だから、過去を癒すということは、単に昔の嫌な出来事を忘れるためだけに行うものではないのだと思います。これから出会う人を、過去の誰かとは別の一人の人間として見るためにも必要なことなのかもしれません。


ですので、出来る限り自分自身の意識や心の状態を整えておくことをお勧め致します。

ここでいう「心を開く」というのは、誰でも受け入れなさいということではありません。境界線をなくすことでもありません。


むしろ、きちんと自分を守れることと、心を開くことは両立するものだと思います。嫌なものには「嫌だ」と言える。合わない相手からは離れることが出来る。その上で、必要以上に恐れからすべてを拒絶しないということです。


そして、恐れや過去の傷から相手を選ぶのではなく、「私は本当は、どんな人と、どんな関係を築いて生きていきたいのだろう?」という、自分自身の本音の場所から相手を見ること。


これは、「条件を捨てなさい」という意味でもありません。現実的な条件ももちろん大切です。ただ、その条件の一番奥にあるものが、「私はこの人といると安心出来るのか」「自分らしくいられるのか」「一緒に人生を育てていきたいと思えるのか」という、自分自身の本当の感覚と繋がっているかどうかが大切なのだと思います。


ソウルメイトとのご縁というと、どこか遠くにいる特別な人を探しに行くように考えてしまうかもしれません。でも、場合によっては、必要なのは「もっと探すこと」ではなく、「今までとは違う目で見ること」なのかもしれません。


もしかすると、ソウルメイトとのご縁が無いのではなく、既にそのご縁はどこかに現れているのに、自分の心の一部分がまだ閉じているために、それに気づけないだけなのかもしれませんね。


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