台風が生まれる時に感じる「海からのお知らせ」
更新日:8月10日

台風が生まれる時に感じる「海からのお知らせ」
今日はこんなことを記録しておこうと思います。台風が発生する時期になると気になってくるのが、日本付近の海上で台風が出来上がったことを、なぜか感知してしまうことです。
2016年くらいから察知するようになったのですが、これは天気図を見て「台風が出来そうだな」と判断しているわけではありません。何も見ていない時に、ふと海の方から何かを感じ、そこへ意識を向けると、まるで海から通信的な何かがやって来るような感じがするのです。「通信」と言うとイメージしづらいかもしれませんが、こちらが海へ意識を合わせたから何かを探し出すというより、先に向こう側から何かがやって来て、それによって私の意識が海の方へ向く、という感じに近いです。
これはとても感覚的なものなので、意味不明さを恐れずに感じたままを書いてみれば、私は少し前まで、海の方面から誰かが勝手にメッセージを飛ばしている、または海を司る何かからメッセージが飛ばされているのかと思っていて、それを私がキャッチしてしまっているのだと思っていました。
ふと気づくと、海の方からザワザワとした動きのあるエネルギーを感じるのです。それがまるで誰かから話しかけられているかのような感じがするので、最初の頃は「誰かからのメッセージ」なのだと解釈していたのですね。
魚類やイルカやクジラなど、海にいる生き物が発している何らかのシグナルを感知しているのかと思ったこともありました。人間以外の生き物とのエネルギー的な繋がりについては、私の日常の中では珍しいことではないので、当時はその可能性も考えていました。
このように海から何かのエネルギーをキャッチしたことは、2009年にも一度だけありましたが、その後は暫くありませんでした。そして2016年頃から何度か同じような経験を繰り返すうちに、少しずつ自分の捉え方も変わって来ました。
今思えば、「海から誰かが私へメッセージを送っている」というより、海の方で何らかの大きな変化が起きていて、その変化によって生じているものを、私がたまたま拾っていると考えた方が感覚的には近いように思います。つまり、「メッセージを送る存在」がいるというより、自然現象そのものが発している動きのようなものです。
ちょっと視点を変えた言い方をすれば、「海からのお知らせ」や「自然からのシグナル」と表現することも出来ますが、存在的な誰かが私に向かって意図的にメッセージを送っているわけではないのだろうと思っています。
人間は言葉を持っているので、何かを受け取るとすぐに「誰が送ったのだろう?」と考えがちですが、自然界では必ずしも送り手と受け手がいる必要はないのかもしれません。大きなものが動けば、その周囲にも何らかの変化が生まれる。その変化を、こちらが感知しているだけなのかもしれません。
ところで、台風は災害などをもたらす可能性があるので、そのことを考えると心が痛みますが、海に意識を向けて繋がりを得る時というのは、本当にとっても心地が良いものなのです!これは「台風が好き」という意味とは全く違います。台風によって被害を受ける方がいることとは別に、海そのものへ意識を合わせている時の感覚が、とても大きく、広く、静かで、自分自身の意識まで広がって行くように感じるのです。海のエネルギーに繋がっているだけで、癒されるような、浄化されるような感覚になります。
今年2020年は7月に台風が一つも発生せず、8月に入ってから次々と発生するようになりました。先日も、ふと気づくと海の方から何か感じるものがあったので、海の方へ意識を合わせてみると、手応えのあるしっかりとしたエネルギーを感じました。「あっ、海から何か来てる。ちょっと待って・・・どうやら台風が出来たようですね〜!」と私は夫に言いました。
そして数時間後だったでしょうか。Webの天気ニュースをチェックすると、台風7号が発生したとありました。
こうした経験を繰り返しているうちに、最近では台風になった後だけではなく、その前段階にある熱帯低気圧のエネルギーまで感知することが増えて来ました。昨日発生が発表された台風8号についても、台風と発表される前の段階で感じていましたし、当時四国沖にあった熱帯低気圧についても同様でした。
ここで私自身がとても興味深いと思っているのは、「何かを感じる」ということだけではなく、台風と、その前段階にある熱帯低気圧とでは、私が感じるエネルギーの質が違っていることです。ニュースで「台風」と発表される前後の段階になると、そのエネルギーはかなりしっかりしたものに感じられます。
言葉ではとても説明しづらいのですが、触ることが出来ないものなのに、あえて触感に置き換えて表現するならば、「弾力がある」という言葉が一番近いです。エネルギーの密度が高まり、一つのまとまりとして成立しているような感覚です。
一方、台風へ発達する前の熱帯低気圧の場合には、エネルギーの塊そのものは感じるのですが、まだ弾力がありません。形としてはまとまりつつあるけれど、フニャフニャしているように感じます。通常レベルの低気圧については、私はほとんど何も感じません。ですから、単純に「気圧が低いものを身体で感じている」という感覚とも少し違うのですよね。少なくとも私自身の主観的な感覚の中では、「弱いものから強いものへ」という量的な違いだけではなく、エネルギーそのものの質が変化しているように感じています。
最初の頃は、海からやって来る通信的な何かが一体何を指しているのか、全く分かりませんでした。それが次第に「どうもこれは台風が発生する時に来ているらしい」と分かるようになったのですが、自分の感覚だけでそう決めてしまったわけではありません。直感的に「これは台風なのではないか」と感じた日時を先にメモしておき、その後で気象庁や天気情報のサイトを確認し、自分が感じた時刻と実際の気象状況を照らし合わせる、ということを繰り返していました。
私はこの「先に記録して、後から確認する」というやり方を結構大切にしています。後からニュースを見て「あの時感じたものはこれだったんだ」と考えるだけでは、人間の記憶はいくらでも後付けで結びつけることが出来てしまうからです。
先に「何時頃、どのような感じがした」と残しておけば、当たっていた時だけでなく、違っていた時も含めて自分の感覚を観察することが出来ます。そうやって何度も照らし合わせて行くうちに、台風になった時のエネルギー、まだ熱帯低気圧である時のエネルギー、そして私がほとんど何も感じない通常の低気圧との違いを、自分なりに区別出来るようになって来たのだと思います。
いつだったか、過去に台風発生の察知についてブログにも書いたことがありましたが、その時はもっとハッキリとしたヴィジョンとして見えていたかと思います。今ではヴィジョンだけではなく、発生した熱帯低気圧や、そこから発達した台風のエネルギーそのものの質を見て判断するようになりました。同じものを感知していても、最初の頃と現在とでは「受け取り方」が少し変化しているのだと思います。何度も経験しているうちに、自分の中で感覚を識別するための細かい基準のようなものが出来て来たのでしょうね。
地震についても私は事前に独特の感覚を感じることがありますが、こちらについては、自分自身が地面の上に立って生活していることもあり、私の感覚としては台風よりもまだ「身体が何かの変化に反応しているのだろうか」と考えやすいのです。もちろん、人や動物が地震を事前に予知出来るということが科学的に確立されているという意味ではありません。ただ、私個人の体験として、地震について感じるものは身体感覚や耳の鼓膜などに来ることがあるため、「身体が何かに反応している」という理解の仕方が出来ます。
でも、台風はちょっと謎です(笑)
私は喘息持ちなどではありませんし、地震を事前に感知する時のように、身体のどこかに症状が出るとか、耳の鼓膜に圧を感じるというものでもありません。台風の場合には、身体の内側で何かが起こるというより、自分の外側にある広い範囲の何かへ、突然意識が繋がるような感覚なのです。しかも、その方向が海なのです。
どうして遠く離れた海上の現象をそんなふうに感じるのか。それが気象的な何かに身体や感覚が反応しているのか、それとも私が普段「エネルギー」と呼んでいる別の何かを拾っているのか、私自身にも分かりません。ですので、「これはこういう仕組みです」と説明することは出来ないのですが、分からないからこそ面白いのですよね。
海も空も、自分とは切り離された全く別の世界ではなく、同じ自然環境の中で繋がっているものだと考えてみれば、それほど不思議ではないのかもしれません。私達は普段、自分の身体の境界線までを「自分」と考えていますが、空気を吸い、水を飲み、気温や湿度や気圧の変化を常に受けながら生きています。そう考えると、人間も自然の外側から自然を眺めている存在ではなく、最初からその中に組み込まれている存在なのですよね。
だから私は、この「海からのお知らせ」を感じる時に、単に「台風が出来たらしい」という情報だけを受け取っているようには感じません。もっと大きな自然の動きの中へ、一瞬自分の意識が入り込んで行くような感じがします。それは、自然のエネルギーの中に自分自身が溶け込んでいるような、こちらと自然との境界線が少し薄くなって、しっかりと繋がっているような感覚です。
そして、それが実に心地が良いものなのです。
海の広さや大きさの中へ意識を合わせていると、自分の頭の中だけでぐるぐると考えていた小さなことから意識が離れて、もっと大きなところへ戻されるような感じがします。
そういう意味では、この「海からのお知らせ」を受け取っている時間は、私にとって一種のグラウンディングにもなっているのかもしれませんね。 END



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