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Nov.9th, 2022


先月のとある日、久しぶりに車で長距離ドライブがしたくなり、青森市まで走って来ました。長距離の運転は私に取っては趣味のひとつですが、朝4時半に家を出て、休憩や昼食時間を挟んでも、14時ちょうどに青森市の妹の家に到着したので、私にとっては早すぎる起床がたたったのか、今回はまあまあ疲れました。自宅から青森市までは790kmでしたが、東北道は法定速度が120km区間があるため、間伸びせずに走り続けることが出来ました。そして、例の教材も持参したので、現地では甥への英語のレッスンもしました。(どういうわけか、甥がレッスンをしたがっていて、私を待ち構えていました)


いつも英語のオンラインレッスンをしてくれるお礼に、ということで、スタッドレスタイヤを履いた妹の車で、八甲田山の上の方にある酸ケ湯温泉(すかゆ)に連れて行ってもらいました。写真は山に入る前に撮った写真ですが、八甲田山の上の方では既に雪が降っていて、山の頂上にも雪が積もっていました。気温も一桁台でしたし、すっかり冬の気候で寒かったです。


帰りは山形に寄って帰ったのですが、そこで私は侍に斬られました。山形は全体的に、どこの地区へ行っても、周辺の家々が綺麗に整えられていたのが印象的ですが、特に山形駅の周辺はとても整っていました。若干、ホテルのエネルギーが重いなとは思っていたのですが、まさか草木も眠る丑三つ時に、目の前に侍が立ち現れるとは思ってもいませんでした。


私はその侍の姿をはっきりと記憶しています。

戦いの装束を身に纏っていましたので、おそらく戦国時代の人なのかなと思いましたが、それが鎧兜のみならず、桃太郎が着ているような袖なしの法被のようなものを鎧の上に着ていました。しかし、斬りつけて来た刀の形が妙だなと思いました。一般的に侍が持っていたとされる、脇差や長い刀のように細い刃ではなく、包丁の太さに近い刃をしていて、長さも短かったので「おや?」と不思議に思い、山形の歴史や刀について調べてみました。


すると、まずは私が泊まったホテルは、かつては山形城の敷地内にあったようで、それも外部からの侵入を防ぐための構造になっていた場所のようでした。もしかしたら、私や他の観光客などを、お城への侵入者と見做していたのかもしれませんね。そして、山形城は戦国時代に建てられたものであり、それゆえ、このたび見かけた侍の服装も、戦装束だったというわけですね。


また、私が斬られたのは、脇差にしては短めの刀でしたが、当時の山形城に、徳川家康から贈られた脇差が短刀だったようで、当時は現地の侍たちが、それと同じような短刀を脇差として、刀と一緒に腰に携えていたのだとか。しかもこの刀は鎌倉で作られたものだとのことです。身に纏っていた戦装束と刀の形からして、もしかしたら結構位の高い侍、あるいは武将クラスの侍かもしれませんね。


その侍が私の目の前に現れた時は、一度私を斬りつけて、踵を返してどこかへ行こうとしたものの、また戻って来て再び私を斬りました。つまり、2回斬られたということです。「その人が既に死んでいる人だ」ということは咄嗟にエネルギーで理解したので、私はその侍に向かって「なんで既に死んでるのに、私のことを斬るのよ!死んでるんだから、早くあの世に行きなよ!」と言いました。すると、いきなり姿を消したのです。時計を見ると、午前3時45分でした。それからは何事もなくぐっすり眠ることが出来ました。姿を消した後はどうしたのでしょうか?自分が既に肉体を持っていないことに気づいたのでしょうか?


その侍からは怨念などのようなものは感じなかったので、変な感じもしませんでしたし、まったく怖くはなかったです。でも、おそらく山形のそこに来る観光客のみなさんも、みんな見えない侍たちに斬られているんだと思います。私はそういう姿が見えるから、私自身が斬られたことが分かりましたが、そういうものを見るセンサーが開いていない人たちも、自分では気がつかないうちに、みんな斬られていると思いますよ。きっと彼らは「違う国(地域)から来た侵入者」だと思っているのでしょうね。


そのような場所に行った場合は、浄化することをお勧めいたします。

セッションメニューで言うと、ピューリフィケーションが浄化ワークに該当します。