
このたび、愛猫が旅立った事によって、ハッキリと分かった事があります。遺骨の事についてです。これはすべての動物、人も含めた生き物に関して言えることですので、もしも最近、最愛の存在とのお別れを体験された方がいらっしゃいましたら、参考になれば幸いです。
5月1日の夜中の12時に愛猫が旅立ち、その日の午後には葬儀を行い、火葬してもらいました。家を出発してから火葬するまでの間、片時も離れることなく、私がずっと愛猫を抱きかかえていました。火葬が終わり、骨になって帰って来た姿を見た時には、なんとも言えない不思議な感じがしました。つい先ほどまで猫としての姿があって、愛猫の姿を認識することが出来たのに、1時間も経たないうちに愛猫の姿が違う形になっていることに戸惑いを感じました。そして私たちは遺骨を拾い、一部の骨を残して、全てを骨壷の中に入れました。骨はパウダー状にすることも出来るとのことだったので、そのようにお願いしました。
パウダー状になって骨壷に収められた愛猫の遺骨。それを手渡され、胸にいだいた時、私は少し驚きました。先ほど、火葬する前の愛猫と全く変わらない波動を感じたのです。
これは、愛猫そのものではないか・・・。
私が波動を敏感に察知するせいもあるのか、愛猫のかつての毛並みやそのフワフワ感や、頭の形や背中の丸みなどを、詳細に感じることが出来ました。身体は物質的なものですが、それは「骨だけ」の状態になっても、物質的なものには変わりません。そして、波動も生前の時と変わらない、ということなのかもしれませんね。
ただし、遺骨に話しかけても、遺骨から返答があるわけではありません。対話はあくまでも魂に対して行わなくては成り立ちません。ですので、愛猫が光の扉が閉じられる前に、ちゃんと黄泉の世界へ行くように伝えた時は、遺骨ではなく、魂の領域にアクセスして行いました。昨夜、テーブルの下の私の脚を引っ掻く存在がいました。物理的に衣服が引っ張られ、脛あたりをカリカリと掻かれるような感覚がありました。きっと愛猫でしょう。生前もよく同じことをしていましたからね。それを最後に既に光の扉の向こうに行ったのでしょう。今日は家の中に、愛猫の存在を全く感じません。
姿が見えないのはとても寂しく感じますし、さらに魂の気配も消えてしまうと、その寂しさが増すような感じがするかもしれませんが、愛しているからこそ、愛猫の魂をこの次元に引き留めるわけにはいきません。ここは愛で送り出してあげるべきだと思いました。
ところで、私は子供の頃からお寺などの敷地内にある、墓地や霊園の近くを通るのが怖くてたまりませんでした。特に、墓石や卒塔婆などが道路から見えている(つまり、道路と墓地が隣接している状態)ような場所を通る時、いつも人の気配を感じていたからです。誰もいないのに誰かいるような気配。しかもそれは、大勢のような感じでしたので、見えないのに誰かがいるという気持ち悪さがあり、怖かったのを覚えています。時々は真っ黒い影を見ることもありました。そのため、いつも遠回りして、その前を通るのを避けていました。
これはおそらく、遺骨が生前の波動を残しているかもしれないからではないか?と思いました。生前の波動、それを私は「人」のように感じていて、実際はそこに生きている人がいないのにもかかわらず、人がいるかのように感じていたのだろうと思いました。墓地に人がいないのに、人の気配を感じたりすると、今までは「成仏していない霊魂がいるのかな?(でも、あの光の玉が見えないのは何故だ?)」と思っていましたが、おそらく墓地の気配はそれでは無い可能性が高いかもしれませんね。暫くは墓地などに行く機会がなかったですし、墓地などでよくある波動を検証するような事は間違っても致しませんが、成仏していない霊魂はもっと違う形で見えます。(肉眼で見える光の玉)成仏していない魂と、墓地の波動の違いが分かって少しだけスッキリしました。
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今からちょうど10年前にも、もう1匹の愛猫を見送りましたが、その時は今ほど敏感に詳細に、波動を感知する事が出来ずにいたと思います。この10年でかなりの量の意識エネルギーを手放し、解放したせいか、今はさまざまな波動をハッキリと察知するようになってしまいました。
寂しくてたまらない時間を過ごしている方、もしも嫌でなければ、愛する存在の遺骨を抱きしめると、その存在の生前の波動を感じる事が出来て、その存在をとても身近に感じる事が出来るかもしれません。波動に敏感ではない方でも大丈夫です。しっかりと遺骨は波動を発しているはずですので、遺骨をお墓に安置するまでは、そのようにして亡き愛する存在を偲んでも良いのではないかなと思いました。
それではみなさま、ごきげんよう.**✳︎**+