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人は、自分の中にあるものと出会う

  • 7月21日
  • 読了時間: 12分

更新日:7月28日


私は、人生で繰り返し出会う「似たような方向性を持つ人たち」は、実は「自分の中にある方向性」を映し出しているのではないかと思っています。


もちろん、それは同じ職業や能力を持っているという意味ではありません。もっと深いところにある、ものの見方や、生き方の方向性のようなものです。人は、恋愛だけではなく、人生のさまざまな場面で、自分の中にあるものと響き合う人に出会うことがあるのではないでしょうか。


これは、長い時間をかけて考え続け、さまざまな可能性を検討する中で、少しずつたどり着いた考えです。そのきっかけになったのは、私の周りに、偶然とは思えないほど、それぞれの分野で自分だけの道を築いていく人たちが何人もいたことでした。


なぜ私は、そのような人たちと繰り返し出会い、長い年月を経てもつながり続けてきたのだろう。これは私の人間関係に見られる一つのパターンですが、そこから、人と人がつながる理由について考えてみたいと思います。

小学校、中学校、高校、大学時代の友人たちとは、今でも定期的に集まることがあります。何十年も付き合いが続いている人もいれば、しばらく会わないまま時間が過ぎ、数年ぶりに再会する人もいます。


その友人たちが、どのような道へ進んだのかは、20代の頃から知っていました。検察、大学での研究や教育、文化財の保存修復、宇宙開発分野での分析、報道、料理など、それぞれが異なる分野へ進んでいました。当時は、「ああ、そちらの方向へ進んだんだね」と思いながら、近況を聞いていました。


それから数十年が経ち、久しぶりに話を聞いてみると、皆それぞれの道を長く歩き続け、専門性を深め、大きな責任を担う立場になっていました。


若い頃に選んだ道を、そのまま何十年も歩き続けていたこと。そして、その積み重ねが、社会の中でも分かりやすい形になって表れていたことに驚きました。


そこで私が改めて考えさせられたのは、どのような肩書を得たかということよりも、一つのことを長く続け、自分の関心を掘り下げ、自分なりの道をつくっていく、その人たちの姿勢でした。


重要文化財の保存修復に携わっている友人が、某国立大学で非常勤講師も務めることになったと知った時にも驚きました。文化財修復が高度な専門分野であることは理解していましたが、実務の中で積み上げてきた知識と技術を、今度は大学で教える立場になっていたのです。「一つの分野で経験を長く積み重ね、極めていくというのは、こういうことなのだな」と、改めて思いました。


料理人になった友人もそうでした。10代の頃、「将来は料理人か芸能人になりたい」と話していたことを覚えています。実際には料理人の道を選びましたが、その後は、テレビやラジオ、雑誌など、さまざまなメディアで活躍するようになりました。企業との調味料の共同開発を行い、デパ地下に店を構えるなど、ほとんど芸能人同然の状態になったのです。


今振り返ると、「料理人か芸能人になりたい」という当時の夢は、どちらか一方を選んだのではなく、料理人という道を選んだことで、二つの夢が重なるような形になったと感じます。


とはいえ、それぞれが進んだ道が、私にとって意外だったわけではありません。若い頃に選んだ道を真っすぐ歩き続け、その先に現在の姿があったのだと思いました。そして同時に、「やっぱり、この人たちらしい」とも感じたのです。みんな昔から好奇心が強く、自分の考えを持ち、一つのことを深く掘り下げる人たちでした。


現在の姿は、若い頃とは無関係な突然の変化ではありません。昔からその人の中にあったものが、長い時間をかけて育ち、あるいは本人が意識的に育て続けた結果、今のその人を形づくっているように思えました。


その人たちのことを考えているうちに、私はふと気づきました。「そういえば、私の人生には、こういう人が本当に多い」分野や職業は、まったく異なります。それでも、長い時間をかけて一つのことを探究する人、自分の考えを持ち、簡単に周囲へ流されない人、自分にしかできない仕事や表現を育て続ける人が、私の周りには何人もいました。


友人だけではありません。親族にも、仕事を通して知り合った人の中にもいます。共通していたのは、社会的に目立つ立場にいることではありません。それぞれが、自分の人生を使って、自分にとって大切な何かを育て続けていることでした。


このような経験を振り返るたびに、私は一つの疑問を持つようになりました。なぜ私は、そのような人たちと自然に話が通じ、長く関係が続いてきたのか。なぜ人生を振り返ると、似た方向性を持つ人とのご縁が、何度も繰り返し現れているのか。


そして、それは私だけに起きていることなのか。私は、そうではないと思っています。誰の人生にも、不思議なくらい似た種類の人が繰り返し現れることがあります。仕事が変わっても、住む場所が変わっても、年齢を重ねても、なぜかどこかに共通した空気を持つ人と出会う。そんなことが、今までにありませんでしたか。


反対に、条件だけを見れば親しくなっても不思議ではないのに、どうしても深いところでは交わらない人もいます。私たちはそれを、「相性」や「価値観が合う、合わない」という言葉で表現します。もちろん、それも一つの答えでしょう。しかし私は、そこにはもう少し深い理由があるような気がしてなりませんでした。


そこで最初に考えたのは、「環境」の影響でした。人は、生まれ育った家庭や学校、周囲の価値観から大きな影響を受けます。何を面白いと感じるのか。どのような人と話が合うのか。何に価値を見いだすのか。その多くは、育ってきた環境によって形づくられます。


人は育つ過程で、自分の周りにある価値観や生き方を、自分にとっての「当たり前」として内側に取り込んでいきます。何を自然だと感じるのか。どのような人に親しさを覚えるのか。どのような生き方に安心し、どのような状態に違和感を持つのか。そうした無意識の基準が、少しずつつくられていくのです。


その基準は、大人になってからの人間関係にも影響します。人は、自分の内側にある感覚と似たものを持つ人に目を留め、親しさを感じ、関係を続けていきます。それが心地よい関係であっても、時には苦しさを伴う関係であっても、慣れ親しんだパターンほど自然なものとして受け入れてしまうことがあります。そのため、似たような人間関係や状況が繰り返されることがあるのです。


そう考えるなら、私がこのような人たちと繰り返し出会ってきたことも、まずは環境という視点から説明できるのではないかと思いました。


本来であれば、さまざまな人の人生を例にお話しできればよいのですが、私は他の人の人生を細かく説明することはできません。ですから、ここでは私自身の経験を例にお話ししたいと思います。


私自身、学ぶことや知ることを大切にする家庭で育ちました。先日、お客様のお一人が「教育は最も重要ですね」とおっしゃっていましたが、私も教育は、人生の土台となるとても大切なものだと考えています。


ただし、ここでいう教育とは、学校の成績や学歴だけを指しているのではありません。何を面白いと感じるのか。何に価値を置くのか。分からないことに出会った時、それを恥ずかしいと思うのか、それとも知りたいと思うのか。そうした世界との向き合い方を身につけていくことも、教育の一部なのだと思います。


私が通った小学校は公立でしたが、少し特徴的な学校でした。4年生からは、登校後すぐに、先生方が受験対策用に作った問題集を解くのが日課で、塾に通っていなければ難しいような問題も含まれていました。


6年生では、公立中学校へ進学する生徒は、1クラス40人中5人から10人程度で、難関校や名門私立中学校へ進学する生徒もかなりいました。そのため、学区を越えて入学してくる生徒も多かったのです。


進学した公立中学校も、城南エリア全体の中で学力が高い学校でした。そのため、小中学校の9年間は、学ぶことや将来について真剣に考えること、自分の興味を掘り下げることが、周囲から浮いてしまうようなことではありませんでした。


子どもだった私は、それを特別な環境だとは思っていませんでした。子どもは、毎日接している人たちの感覚を、そのまま「世の中ではこれが普通なのだ」という基準として取り込んでいきます。今振り返ると、知ることを面白いと感じる人や、自分なりの目標を持つ人に親しさを覚える土台は、あの頃から少しずつつくられていたのかもしれません。


もちろん、環境だけですべてを説明することはできません。同じ学校にいた子どもたちが、全員同じ価値観を持つようになったわけではないからです。同じ教室で学び、同じ先生の話を聞いても、何に強く反応し、何を自分の人生の中へ持ち帰るのかは、人によって違います。


環境は、その人が何を「普通」と感じるかをつくります。しかし、その環境の中から何を選び取り、自分のものとして育てていくのかは、本人の内側にある性質とも関係しています。

私は、人が育った環境、家族から受け取った価値観、これまでに選んできた人間関係、本人が何を大切にし、どのように生きてきたのか。そのすべてが重なって、その人特有の「磁場」をつくるのではないかと思っています。


ここでいう磁場とは、何もないところから魔法のように現れるものではありません。その人が何を選び、どのような人と関わり、何を考えて生きてきたのか。その蓄積が、言葉や態度、選択、佇まいとなって外側に表れ、独自のエネルギーフィールドをつくっていくのだと思います。


そして、似た方向性を持つ人同士は、互いの磁場に気づきやすいのではないでしょうか。職業も年齢も、生きている世界も違う。それでも、ものの見方や、生き方の根底にあるものが似ていれば、なぜか目に留まり、話が通じ、関係が続いていくことがあります。


大人になってから仕事を通して知り合った人たちの中にも、一つのことを何年、何十年とかけて探究し、その分野で名前を知られるようになった方や、長年の経験を積み重ね、大きな責任を担う立場になった方が何人もいました。年齢も職業も、住んでいる場所も違います。それでも、どこかに共通する空気を感じました。


私は、それも磁場によって生まれた出会いなのではないかと思っています。人は誰とでも同じようにつながるのではなく、自分の中にある価値観や方向性と、どこかで響き合う人に気づき、互いの人生の中に入っていくのではないでしょうか。


そして、ここには心理学者ユングのいう「投影」という考え方も関わってくると思います。私たちは、相手をありのまま見ているつもりでも、実際には、自分の無意識にあるものを相手の中に重ねて見ていることがあります。相手のある性質がなぜか強く目に入ったり、その人の生き方に理由の分からないほど反応したりするのは、そこに自分自身のまだ意識していない価値観や可能性が重なっているからかもしれません。


ただし、それは必ずしも、自分にも相手と同じ性質や能力があるという意味ではありません。自分がまだ持っていないものへの憧れや、こうありたいという願いを、相手の中に見ている場合もあります。


いずれにしても、なぜその人のある性質が強く意識に残るのかを考えることは、自分自身を知る手がかりになります。


私が友人たちの中に見ていたのは、社会的な肩書や評価ではありませんでした。自分が選んだ道を長い時間をかけて育て、周囲に流されずに歩み続ける、その姿勢だったのだと思います。


そういえば20代の頃、私は友人たちから「我が道を行くよね」と、よく言われていました。私自身、周囲に合わせることよりも、自分が興味を持ったことを深く掘り下げ、自分なりの考え方や方法をつくっていくことのほうを大切にしてきたのだと思います。


この仕事を始めてから知り合った、第一線で活躍しているスタイリストの方に、「なんだか私たち、似ていませんか。姉妹のように感じるんですよね」と言われたことがあります。


その方の紹介で来てくださった方々からも、「顔や容姿が似ているわけではないのに、なぜか似ていますよね」と、何度も言われました。何が似ているのか、誰にもはっきりとは説明できませんでした。


その方も、長い時間をかけて一つの仕事を追求し、自分なりの感覚や方法を磨きながら、独自の道をつくってきた人でした。職業も才能の表れ方も違いますが、自分が大切だと思うものを追求し、周囲に流されずに道をつくっていくという部分に、共通するものがあったのかもしれません。


価値観や生き方は、その人の言葉や表情、佇まいとなって、外側へにじみ出ることがあります。私がこれまで「波動」と呼んできたものも、その人が何を大切にし、どのように生きてきたのかが、言葉にならない形で表れたものなのかもしれません。


そして、人が誰かの生き方に強く反応したり、その人との関わりから何かに気づいたりする時、その反応のすべてが「相手と自分は同じだ」という意味ではありません。それでも、その人の何かが強く意識に残ったという事実は、自分の内側を知る手がかりになります。


だから私は、人生で繰り返し出会う人や、長い年月を経ても関係が残っている人たちは、偶然に現れた、まったく無関係な存在ではなく、自分自身がつくり出している磁場の中で出会った人たちなのではないかと思うようになりました。


私の周りに、一つのことを長く探究し、自分なりの道を築き続ける人が多かったのは、私自身も、そうした生き方を大切にしてきたからなのだと思います。


もちろん、職業も能力も、才能の表れ方も、それぞれまったく違います。私が共通していると感じたのは、社会的な立場や結果の大きさではなく、一つのことを長く考え、自分の関心を深く掘り下げ、周囲に流されずに自分なりの道を選ぼうとする姿勢でした。


その性質は、肩書や目立つ成果として表れないこともあります。私の友人たちの場合は、若い頃から持っていた性質が、長い年月を経て仕事や役割という分かりやすい形になったため、「この人は昔から、この方向へ進む人だったのだ」と、後になって見えやすくなったのだと思います。


私たちは、相手の中に見えるものを、その人だけが持っている特別な性質だと思いがちです。しかし、ある性質がなぜか強く目に入り、その人の生き方が長く心に残るのなら、それは自分の内側にも、どこか同じ方向性があるからかもしれません。


もちろん、相手とまったく同じ才能や能力を持っているという意味ではありません。自分の中にも、同じ方向へ向かおうとする力や、まだ十分に意識されていない可能性があるということです。


人は、自分のことを、自分だけで知ることができるとは限りません。むしろ、人生の中で繰り返し出会う、どこか似たものを持っている人や、何か共通するものを感じる人、長い年月を経ても関係が残っている人たちの中に、自分自身の姿が映し出されていることがあります。


あなたの人生には、どのような人が繰り返し現れてきましたか。その人たちは、どのような生き方をし、何を大切にしているでしょうか。そして、あなたはその人のどのようなところを、長く心に留めてきたのでしょう。


あなたが相手の中に見つけたその性質は、本当にその人だけのものでしょうか。もしかすると、それはあなた自身の中にも、ずっと前から存在しているものなのではないでしょうか。

その答えの中に、あなた自身が大切にしているものや、これから進もうとしている方向が、表れているのかもしれません。 END



 
 
 

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